いくら鳳珠が国のことを憂いていようとも、有紀にとっては彼が一番なのだ。
だから、時たま頑として首を縦に振らないときがある。
そして、決して妥協を許さないことも。
それは鳳珠が一番知っているはずなのだ。
と、黎深は回想してみた。
有紀が頑固なのは知らぬは有紀本人のみである。
奴が意地になれば私でも動かせぬというのになぜ鳳珠が気づかない。
室の奥から聞こえてくる静かな責め立て合いに黎深は扇の奥で笑いを噛みしめた。
「いやです」
「わがままを言うな。私はお前の安全のためにだな」
「何度も言わせないで下さい。ヤですよ。絶対行きません」
「有紀!」
怒ったように名前を呼ぶがこの時ばかりは有紀も譲れなかった。
勿論、鳳珠もである。滅多にわがままを言わない娘のわがままは出来うる限り叶えてやりたいところではあるが、この件ばかりは譲れない。
頑固な似たもの義親子は互いに一歩も譲らない。
半刻ほどずっと同じ会話が続いていることに当人達だけが気づいていない。
つんとそっぽを向く有紀をじっと見て少し冷静さを取り戻したのか鳳珠はようやく違う言葉を紡いだ。
「だが家人はほぼすべて黄州へ返す。お前の面倒を見る者がいない」
「それがどうしました?」
「危ないから置いておけないと言っているんだ」
ようやく新しい会話の兆しが見えたところで鳳珠は手元にあった冷めてだいぶ経つお茶を呷った。
ずっと話し続けていたのどが潤された。
疲れた顔をしているのは有紀も同じで彼女は無言で鳳珠のお変わり分を注いだ。
「鳳珠様は…」
ずっと拒否の言葉しか口にしなかった有紀がようやく重たい口を開いた。
一体何が嫌で拒むのか分からなかった鳳珠は続きをじっと待った。
「鳳珠様は、鳳珠様が今内乱の兆しが見える国を憂いているのは知っています」
「……」
「貴陽の街から少しずつ笑顔が消えていっているのも知っています」
そこまで続けると有紀は俯いて、膝の上にたまっていた服の裾を握った。
何かを堪えるようにきゅっと握るその手を見ながら鳳珠は言葉の続きを待った。
まるで泣きそうになるのを必死に堪えているようだった。
ここで言葉を遮ると有紀は二度と口にしない。
「最近特にお忙しいのか帰宅なさる時間も遅いし、お食事をいつ取っているのかぜんぜんわからないし」
まるで駄々をこねている子供のようだと有紀は自分を嫌悪するが、堰を切って飛び出した言葉は止まらない。
じっと降り注ぐ静かな鳳珠の視線が、胸に痛かった。
「……でも今は私がお帰りを待っているから無理をしてでも帰ってきて下さることを知っています」
これは自惚れではない。それは確信であり、確認だった。
「だから、私は黄州には行きません!」
何がだからなのか全然言えていないが、それでも言い切った有紀は顔を上げて真っ正面から鳳珠の顔を見た。
どんな表情だろうと有紀は意志だけは曲げるつもりはなかった。
けれど、予想に反して彼は笑っていた。
「私の傍に居たい、ということか?」
「……私もできるなら絳攸のように国試を受けて鳳珠のおそばでお役に立ちたいです」
右腕とは言わない、でも指の先くらいには役に立ちたい。
絳攸が羨ましい。今年の国試を受けるため、彼は今、間近に迫った州試に向けて励んでいるために会っていない。
有紀は鳳珠の役に立てる方法は一つしかない。けれど、その方法は決して彼が喜ばないと知っている。
だから絳攸が羨ましい。
そんなことは無理な願いだと知っている。
何も出来ず駄々をこねて鳳珠を困らせるしかできない自分が悔しくて有紀は再び鳳珠から視線をそらすと、服を握りしめている自分の手を見下ろした。
「お前の気持ちはうれしいが……おそらく王家の後継者争いはこれから加速する」
「……」
返事はせずに頷くと鳳珠はすっと手を伸ばすと有紀の結われていない黒髪を指に絡めながらそっと梳いた。
「直に彩七家が加わる、そうなれば朝廷は機能が停止するだろうことはまともな思考を持つ者には明らかだ」
真剣な口調とは裏腹に彼の手は優しかった。
「……黄家は貴陽に手が回らなくなるということですか」
「そうだ」
「だから家人を黄州へと返すのですよね」
「そうだ」
「っならば尚更です!鳳珠様が戻られるならついていきます!残られるなら私も残ります!」
「有紀」
窘めるような声色に頷いてしまいたくなるが、どんなに諭されても頷ける筈がなかった。
「絶対に嫌です。家人が帰るというのなら私が鳳珠様のお世話をします」
結局は話が戻ってしまったことに鳳珠はようやく気づき、どうやって有紀に頷かせようかと考えた瞬間に、勢いよく室の扉が開かれた。
驚いた有紀は勢いよく扉を向き、鳳珠は不快な表情を露わに扉を振り向き直後に鋭く名を呼ぶ。
こんな不躾なことをするのは一人しかいないからだ。
「黎深!」
「おや怖いね。そんなに大きな声で呼ばなくても聞こえているよ、鳳珠」
「貴様、そんなところで盗み聞きか?」
扉にもたれ掛かることなく堂々と立つ、有紀も見覚えのある黎深は相変わらず堂々と居丈高にそこに居た。
扇を広げて口元を隠しているいつもの姿である。
「鳳珠、一つ方法があるんじゃないかい?」
言っている意味が分からなくて有紀は不適に笑う黎深を見て、鳳珠を見た。彼は黎深とは対照的に苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
鳳珠にこんな表情をさせることが出来るのは黎深だけだろう。
「ふざけるな、私がそんな真似を許すと思うか?」
「ああ、思うよ」
黎深は不適な笑顔を浮かべたままつかつかと歩き、椅子に腰掛ける二人の傍に立つと、何を思ったのか有紀の髪を指にひっかけた。
「黎深さま……?」
「黎深!」
「こんなに君の傍にいたいんだと言っているんだから叶えてやればいいじゃないか。別段難しいことではないだろう」
「だが、どの道危険だ!」
「忘れたのかい、絳攸がいることを」
途端に興味を失ったように有紀の髪をするりと指から抜き去ると徐に扇を広げで口元を隠す。
有紀の知らない話が進んでいく。
「っく、だが通るとは限らないだろう」
「へぇ、君は信じていないのかい?私は確信しているよ、あの子は三元は取る。あれは努力が好きなようだからね。君は、そうは思わないかい?」
「撤回してもらおうか、私はこの子の実力は信じている。だが、誰かは気づくと言っているんだ」
自分と絳攸の話だということは理解できる。
「だから私も手を貸してやろうと言うんだよ、絳攸を貸してあげよう」
「…黎深様」
理解できない話ではあるが、少し聞き逃すことのできない言い方に有紀は黎深を見上げた。
「絳攸はものではありません」
「だが私の子だ」
黎深が珍しく素直である。そのことに有紀は面食らってしまった。
いつもの黎深は冷笑を浮かべて「私のものだぞ」とぐらい言うのに。
あまりの衝撃に動揺を隠せない有紀は、ゆっくりと椅子を立つと即座に二人から離れて軽く退室の礼を取るととりあえず家人が集まっている室へと逃げた。
驚いた有紀の顔が面白かったのか、扇で隠しもせずに黎深は笑っていた。
その間に有紀が座っていた椅子に座り、使っていなかった茶器に茶を入れ直すことを忘れない。
「……黎深、本気か?」
「私は冗談は嫌いだよ。いいじゃないか、本人もそう言っただろう?」
「盗み聞きとは呆れるな」
「失礼だね、君たちの声が大きいんだよ」
扇を手の中で上下に動かしながら楽しそうに笑う黎深を見て、鳳珠は溜息を吐いた。
判断に悩みすぎる決断だ。
邸に一人でおいておくのも危ないがかと言って黎深の提案に乗るのもそれはそれで危険がつきまとう。
「本人に決めさせればいいじゃないか。そうすれば迷いながら受けるというと私は思うけどね」
「……だから尚更聞けないということが分からないのか」
「では私が聞いてこようかい」
黎深がゆっくりと腰を上げると鳳珠は無言で立ち上がると足早に室を出ていった。
「全く手の掛かる友人だ。……だがこれで面白くなる」
勿論黎深が、ではあるが。養い子に事の詳細を告げるのは当日にしようと頷くと黎深は鳳珠の邸を後にした。
鳳珠から一つの提案がされ、鳳珠がいいと言うのならと受けることを決意した有紀ではあるがふと気づいた。
「私が残りたいと言ったのは、鳳珠が倒れるまでお仕事をなさるのを止めたいからであって、一緒に倒れるためではないんだけど……」
だが、ともに同じ事を考えながら頑張るのもいいか。
「ま、いいや。絳攸には内緒にしておこう」
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仲良きことは、ようやく書けました。がイマイチ……
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