続き
真田幸村は戸惑っていた。
上杉軍相手の合戦中に林の奥から妙な気配を感じた。
第三の軍の介入かと思ったがそれにしては可笑しな気配であった為、彼は気合いを入れて探りに林の中へと足を踏み入れた。
何度か訪れたことのある林であった筈なのだが、今駆けている場所は初めて訪れたように感じるほど空気が違っていた。
木が、風が、すべてが静まり返っていた。
「……忍の術であろうか」
忍を部下に持っているとはいえ、幸村自身は忍の術にはさほど詳しくはないのだ。詳しい忍は今は、お館様への伝令に向かわせている。
けれど幸村には真田の忍が常時ついている。姿は見えないが、忍の術ならば報告してくるだろう。
「―――申し上げます」
音もなく、先へと駆ける幸村にぴたりと忍が現れた。視線で続きを促すと、忍は躊躇うように言葉を続けた。
「―――兵の骸が、動いております」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。忍も妙な顔つきで静かに頷く。
「骸が、動くだと?」
「両軍の区別なく、未だ交戦中の場へと向かっております」
「……数は」
交戦中の場所とは、信玄や謙信が刃を交えていた方角のことだろう。ギリと歯を噛むと、奥歯が軋んだ気がした。
忍は一拍置いて、告げる。
「林付近で事切れていた兵すべてです。その数、数百」
「……お館様にお知らせしろ」
「向かわせております」
なるほど。真田忍隊は優秀だ。幸村は闘志に燃えた瞳で笑った。配下の忍は首肯で答える。
「ならばお主は俺について来い!!」
雄々しく咆哮をあげると駆ける速度を上げた。
佐助に抱えられたままの華織は、指で進行方向よりも斜め先を指した。
「あっちです」
「何でわかるの?」
もの凄い速度で移動しながら会話をしても息が切れない佐助に思わず感心をしてしまう。忍ってこんなに有能なんだ。と。華織の知る生の忍者は、熊野別頭の配下にいた「烏」(からす)と呼ばれる者達だけである。
「分かります。私は、あれと数年向き合ってきましたから。遠すぎなければ、居場所は分かるんです」
「……今は深くは聞かないけどね」
「助かります。京にのんびりと向かう前にきちんと事後説明はしますから」
のんびりと、ってこの子本当に一人で都に行くつもりなのだろうか。佐助は思わず横目で華織を見た。
彼女が指す方向へと若干修正して走ると、忍の部下が残した印が目に入った。なるほど、嘘ではないようだ。
後方からついてくる気配を確認すると、走る速度を上げる。
林の奥に進むにつれて聞こえる声と、不快な気配に顔をしかめる。耳を澄ませば木が倒れる音もしていた。
「……佐助さん、さっきの声の人知り合いですか?」
「なんで?」
応えの声が固い。そのことに気づきながら華織は続ける。
「巻き込みたくないから目の前にいて欲しくないんです。出来ればとっさに一緒に退いて貰えないでしょうか」
「巻き込むって……なにすんの?」
当然の質問にどう答えるべきか迷う。怨霊という存在がメジャーではないことは、何となく分かっているのだ。正直に応えても理解は得られないだろう。
けれど
「妙な気配というのは“怨霊”という存在のことです。彼らは戦っても闘っても倒れることはない。でも私は彼らを無に帰することができます。常人を巻き込むことは初めてなのでどうなるかわからない。だから、私の目の前から退いてください」
嘘をつけば、信じてもらえることも信じて貰えないだろう。
佐助の返答はなかった。その代わりに、走る速度が上がった。
華織を降ろした場所から見える光景に佐助は絶句した。
数百はありそうなほどの、骸が勝手に動いているのだ。
あまりにも尋常ではない光景に華織は大丈夫だろうかと横目で見て、佐助は驚くしかなかった。
彼女は“気持ち悪い”という様なものではなく、“哀しい”という表情をしていた。
普通とは言い難いほど肝の据わった娘のようであったが、その浮かべている表情はあまりにも普通とかけ離れている。
きつく握りしめた弓を構え直し、前を見据える。けれどその右手には矢がなかった。
「弓だけでいいの?」
「いいんです。人を射るわけではないから。……とりあえず数を減らします」
きりきりと弓を引くその姿が、何故か神々しく見えて佐助は金縛りにあったように動けなくなった。
「――我は四神の意をこの身に宿す御統(みすまる)なり。我が意に添いて具現せよ――」
朗々と紡がれた言葉の意味を考える前に、矢が放たれる。矢など持っていなかったはずなのに、なぜ矢が突然現れたのか。その疑問の答えは現れなかったが、華織が放った矢は、骸の兵士に命中した。
その瞬間、骸は光を放ち、霧散した後跡形もなく消えた。
現実離れの光景を引き起こした華織を再び見るも彼女は難しい顔をしていた。
「やっぱり五行の力がうまく使えない……」
「華織ちゃん?」
「え? ああ、今のは浄化といいます」
「あそこで切り刻んでるみたいに普通に攻撃するぐらいじゃ通用しないってこと?」
佐助の視線の先には、雄叫びを上げながら槍を振り回す主、真田幸村と真田忍隊の部下達が。何度も吹き飛ばしているが、暫くすると起きあがってくるので苦戦しているようだ。
「打撃を与えていた方が私が浄化しやすいです」
「んーなら片っ端から狩っていけばいい?」
にやりと笑いながら大振りの手裏剣を回す佐助に呆気にとられるも、次の瞬間には笑みを浮かべていた。
「お願いします」
「りょーかいってね!」
言葉を残して佐助の姿は華織の前から消え失せた。赤い装束をつけて槍を振り回す人に視線を合わせれば隣には佐助が居た。いつの間に。
「……できるかどうか分からないけど。地道にやっていくしかないよね」
答えなどない独り言に、懐の札が暖かくなった。そっと握ると、静かに息を吐いて弓を構えた。
「――めぐれ、天の声」
「旦那!!」
聞きなれた部下の声に幸村は手を休めずにそちらを見た。気づけば佐助が当たり前のように骸と交戦していた。
ただそれを見ただけなのに、何故か頼もしく感じ幸村は笑みを浮かべた。
「おお佐助! よくぞ参った!! 奴ら手強いぞ、心して掛かれぃ!!
「そのことなんだけどね、ちょっとお耳に入れたいことが」
「なんだ?」
簡潔に明瞭に、華織の言葉から推測した佐助なりの解釈をかみ砕いて伝える。
捌く手を休めずに報告に耳を傾ける幸村は徐々に驚きに顔を強ばらせる。目は丸く見開かれ、槍を大きく振り、骸との距離を離した。
そうして、佐助の言葉が切れた時を見計らい後方を振り返った。
そこには確かにずぶ濡れで弓を構え、精神統一をしている様子の娘が一人。
彼女の周りに何か敷かれているかのように、骸は一定距離から先に進めないようだった。
「……其等は援護をした方がいいのか?」
あの一定距離が壊れれば危険だろう。けれど佐助は考えるよりも先に首を横に振った。
「それよりも一カ所で薙ぎ倒すよりも全体を打撃していった方がいいらしい。死ななくとも弱っていた方が楽だってさ」
「……確かに、滅せられるのがあの女子だけならば、この数は」
先程から何度も手応えは感じているのに、倒れては起きあがってくる骸達。それらを滅することができるというならば鬼に金棒である。
けれど、一つを滅するのに要する力は推し量ることはできないが、それでもこの数は骨が折れるに違いない。
近寄ってきていた骸を薙ぎ払うと幸村は二槍を構え直す。
「では、二名をあの女子の援護に回し残りの者は俺とともにこの骸を蹴散らそうぞ!!」
「全体に散れってね!!」
にやりと笑うと佐助は素早く印を組み何かを呟く。瞬きの後に分身を数体作り出すと、四方に散った。
「うぉぉおおお!!!真田源二郎幸村、いざ、参る!!!」
槍を構え、穂先に焔を宿す。深く息を吸い、精神を統一し、指先まで神経を張る。
「火焔車ぁぁ!!!」
精神を統一し、頭の中で陣をイメージする。この目の前の怨霊すべてを覆い尽くすほどの広い魔法陣のようなものを。
要は応用だ。
通常ならば、八葉白龍の神子に手助けをし、怨霊を滅する。
華織は怨霊を滅することはできるが、白龍の神子のように救いを与えることもできないし、龍脈の流れに還すこともできない。滅びを与えるのだ。
「我は四神の意を此の身に受ける御統也。此の地に宿る五行よ。我の意に答え、我の意に添え」
言の葉を載せずにもできることだが、こうした方が成功しやすいのだ。扱ったことのない程の膨大な五行が手に集まってくる。
「めぐれ、天の声」
鈴の音が聞こえない。
「響け、地の声」
地面が五行の集中によって光り輝く。地面に勝手に文字が描かれていく。それは、華織には読み説くことができないもので。
「かのものを、封ぜよ」
ゆっくりと、閉じゆくように五行が中心に集まっていく。
怨霊は足を取られたように動かなくなり、そして光となって消えた。
華織が見た光景はそれで終わりだった。
地面に金色の光が流れ、佐助はとっさに部下に下がる命令を飛ばし、自身も幸村を抱え上げると跳びその地面から離れた。
合図など聞いてはいないがおそらくこれがそうなのだろう。
飛び退いた華織の背後の木の枝に幸村を降ろし、先程まで自分たちが駆け回っていた場所を見下ろす。
「なんと……!!」
「すっげ……」
地上に立つ骸を囲い込むように、金色の光が地表を走り不思議な円を描く。その光に捕らわれた骸は身動きがとれず、光に包まれる。
「めぐれ天の声。響け地の声。かのものを封ぜよ」
朗々と紡がれる華織の声が静かに響く。大きな声ではないのに、途切れることなく耳に入る。
「……骸が消えてく…」
光に包まれた骸は、光の残滓を残して跡形もなく消えていった。まるで、元々何もなかったように。
とりあえず主を下に降ろすか、と隣を見るがそこに誰もいなかった。
下から気配を感じ慌てて下に降りると、信じられない光景が目に入り固まってしまった。
女性と見ると「破廉恥!!」と叫び真っ赤になって逃げてしまう、女慣れしていない主が血相を変えて何かを抱き上げていた。
何か――――そう、意識をなくしてぐったりとしている華織を。心なしかその顔の色が優れない。
「って、華織ちゃん?!」
「佐助! この女子、凄く熱いぞ! 早よう手当してさしあげねば!!」
言うが否や幸村は二槍を地面に突き刺し、華織を抱えたまま陣へ向かって走り出してしまった。
「え、ちょっ、旦那?! ああっもう!!」
あわてて部下を追いかけさせるが、佐助は自分が追いかける気にはなれず、はぁと大きなため息をついて手甲に覆われた手で頭を抱えた。
不可思議なことの連続で、流石の佐助の頭も思考放棄してしまいそうだ。
とりあえず、まず体を動かしてなさなければならないことが先決だろう。
幸村は夢中で走っていた。
いくら斬っても倒れなかった骸達言葉だけで片づけてしまった見慣れない娘が、光の収束と共に崩れ落ちるのを見て思わず木から飛び降りて受け止めてしまったのだ。
気が抜けて身体の力が抜けたのかとはじめは思ったのだが、抱き止めた身体が布越しでも分かるほど発熱しているのを感じ取り、そうではないのだとすぐに気がついた。
熱を出している。それを理解すると同時に、幸村の身体が勝手に動き出した。
両手に抱え直すと、邪魔な二槍地面に突き刺し陣に向かって走り始めたのだ。
ぐっしょりと濡れた着物に身を包んだ娘の身体は男の自分のそれとは違い、酷く華奢でとても軽かった。
こんな細い身体のどこからあんな力が出ていたのだろうかと思う程、彼女と自分の差を感じた。
どうすれば、先程の窮状を救って貰った礼ができるのか。考えても答えが湧かない幸村は大きく息を吸い込んだ。
「ぅおやかたさむぁぁあああ!!!」
「……ぅるさい…」
「も、申し訳ござらん!!」
胸元で聞こえた小さな苦情に条件反射で謝った。
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