幸村は大きな目をこれ以上ないほど開き、不自然な動作のまま硬直していた。瞬きすることさえ忘れたようで瞠目したままである。
いま、なにがおこったのだろうか。あまりの事態に幸村は、目の前のことが受け入れられなかった。
「Ah...Sorry.ゆきむら」
一方、目の前に立つ少年――幸村の好敵手である伊達政宗という――彼は、幸村とは違い非常に罰が悪そうにして手元を見ていた。幸村とは賢明に目を合わせないようにしている。
「……ど」
「ど?」
自分の手にあるものは、最初にきれいな赤い色をして嬉しさを一杯に貰ったものではなく、破れてしまい巾着袋としての機能を果たさなくなった、先ほどまで巾着袋だったもの。
「どうすればいいのでござろうか……」
「どうって……」
どうすればいいのだろうか。
そもそも、原因は政宗にある。そのために彼は何も言えなかった。
あやまればいい。
けれど、それは自分がすべきことで幸村がすることじゃない。
そうこうしているうちに、幸村と政宗を呼ぶ声が聞こえた。 ビクリと肩を震わせると、おどおどとしながら帰り支度を始める。
靴に履き替え、ノロノロと迎えが待っている場所へと向かう足取りは、二人揃って遅い。
いつもならば我先にと駆けていく道のりであるが、足がゆっくりとしか動きたくないと言っているようで。
「ゆっきー?」
「政宗様、どうなされた」
迎え二人の声がかかり、二人はまたも肩をビクリと過剰に反応させた。
それだけで何かがあったと知らせるには十分で、お迎え二人……麻都と小十郎は顔を見合わせた。
「ゆっきー、おかえり」
「た、ただいまでこざる……」
普段とは違う様子に首を傾げるが、隣の小十郎も同じような感じである。
おどおどとしている幸村は、麻都のスカートの端を掴んで視線を下げている。その様子から察するに何か、『わるいこと』をしたのだろう。
けれどぱっと見た限り、洋服を破いたとか、鞄を壊したとかではないのだろう。
別に洋服を汚す程度では怒らないし、現に今も汚している。小さい子供は洋服を汚すのが仕事だと思っているので、何とも思わないのは兄と同じ見解である。
じっと見られているのが分かるのか、幸村の体が硬直している。
暫し考えるも、答えが見つからない麻都は幸村の視界に右手を差し出す。何を意図しているのか分かっている幸村も、おずおずと手を重ねる。
「じゃあ帰ろっか」
「うむ……」
「じゃあまた明日~」
手を振った相手の小十郎と政宗もが手を振り替えす。けれど小十郎は怪訝な顔を露骨にしたままで、政宗は幸村同様に、かちこちに顔が強ばっていた。
帰り道。いつもならば、毎日通る道なのにいろいろなものに関心を示して、寄り道ばかりするのだが。
「ゆっきー、公園行く?」
首を横に振って否定される。
「あ、わんちゃん触ってく?」
やはり首を横に振られる。
首の振り方がちぎれそうなほど勢いがあるのではなくて、そっと悲しげに振られる。
一体何をしたのだろうかと思うも、こういう場合は聞き出すべきなのか、それとも言い出すのを待つべきなのか。
(……まあ兄さんに任せよう。うん、そうしよう)
こういった細かな部分は兄の方が適任だろう。
いつも、家事の大部分を引き受けているのだからそれぐらい、いいか。
なんて普段は思わないことを自分に納得させて、スーパーへの道を歩いた。
そう大した量を買わなかったために早めに帰宅したのだが、幸村は一目散に自分の部屋(兄・佐助と共有)に駆けだしていった。
いつもならば、玄関に荷物をおいて一目散にお隣さんに行こうとするのを麻都が止めるのだが。
まるで麻都に荷物を触られると困ると言わんばかりに。
「……なに壊したんだろう?」
まあ、いっか。と自己完結させると野菜やら果物やらを冷蔵庫にしまい始める。
部屋に無事閉じこもった幸村は、廊下をじっと覗きながら麻都が追いかけてこないことにほっと息をついた。そして少し残念に思った。
追いかけてきてもらえれば、勢いで謝れるからだ。
「……どうすればよいのだろうか」
こんなことおやかたさまにそうだんできぬ。
謝ってこい!と追い出されること確実だ。
赤い巾着袋は、麻都が幸村に初めて作ってくれたものだった。
大事に大事に使っていたのだが……。
破れてしまったという事実に幸村は落ち込むと巾着を手に着かんで、兄のベッドに潜り込んだ。
「たっだいま~」
「あ、お帰り兄さん」
コンロの火を消すと、コップに水を入れて佐助に渡す。受け取った佐助も、何事かと目を瞬くが小さく礼を言って飲み干す。
「なんかあった?」
「うん。なんかゆっきーの様子がおかしいから見てきて貰いたいの」
「幸が?」
「うん」
そういえば、と辺りを見渡すが珍しく家の中が静かだ。
毎日のこの時間は、庭で元気に遊び回っているか、お隣さんか、麻都のお手伝いに燃えているかしているのだが。
水を打ったように静まり返った室内を見ながら、そういえば玄関に靴はあったな、と思いだし、そのまま視線は上を見据える。
「たぶん、何か壊したかしたんだと思うんだけど」
「んー了解。風呂洗ったら聞き出してくるわ」
「うん、お願いしまーす。お風呂は私が」
「俺様がやるからやっちゃだめだからね?」
有無を言わさぬ笑顔で念押ししてくる兄に不承不承頷くと、キッチンに戻る。
「んじゃ、籠城戦攻略してきまーす」
「あ、夕飯はハンバーグです」
「了解」
スチャッと手を挙げてそのまま風呂場へと向かう兄を見送る。そういえば最近は風呂洗いは幸村がやるお手伝いの一つだった。
一体なにを壊したのやら。そんなことを思いながらミンチと繋ぎを軽快にこねた。デザートはなにがいいだろうか。罰と称して柿だけでもいいだろうか。そうしよう。
とびきり甘い柿を剥こう。
ハンバーグの形になったのを見てふうと息をつく。
「折角一緒に作ろうと思ったのになぁ」
まあ、それはまたの機会でもいいだろう。
フライパンが温まったのを見て、手を洗い拭うと油を敷くべくサラダ油を取り出した。
一仕事終えた佐助が部屋の扉を開けると、幸村の姿はどこにもなかった。室内灯の灯っていない室内は薄暗く、足先に小さな何かがぶつかった。
幸村の鞄だ。
荷物を机の上に載せながら室内を見渡すと、自分のベッドがちんまりと膨らんでいた。
すぐに正体が判明する。
この小さな年の離れた弟は、何か悲しいこと。それも麻都に言えないことがあると佐助のベッドに潜り込むのだ。
ベッドの空いたスペースに腰掛けると、ぎしりとスプリングが軋む音がした。
「幸?」
もぞりと動き布が擦れる音がするが、返答はない。
「何やらかしたの? 麻ちゃんが心配してたぜ?」
返答はない。
「なんか怒られることしたの?」
「………ね…が」
「ん?」
もぞもぞと布団が動き、器用に頭だけを飛び出した弟の頭をくしゃりと撫でる。
少し堅い髪質は、麻都とお揃いだ。
「……それがし…」
「うん」
「あにうぇー……」
大きな目を悲しく滲ませた弟に、いったい何をやらかしたのだろうとぼんやり思いながら途切れ途切れに話される内容に耳を傾けた。
なんとまあくだらない。と思ってしまいそうだが、本人にとってはとても重大なことなのだからそんなことは言ってはいけない。
「まあ、ようするに。ちょっと前に麻ちゃんが作ってくれた巾着袋に小さな穴が空いていて、思わず指をつっこんでみたら、政宗クンが引っ張っちゃって大きく破れちまったと」
「……そうでござる」
「で怒られると思って?」
縦に振られると思われた首はゆっくりと横に振られる。
そのことに思わず首をこてんと傾げる。
ぼそりと呟かれた言葉に佐助の瞳が見開かれ、そして優しい笑みを浮かべて幸村の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
小さな身体の脇に手を入れて持ち上げて腕に乗せると幸村の鞄も拾い上げてそのまま廊下へと出る。
「さっさと正直に話して、麻ちゃんに新しいの作ってもらいな」
「……む」
「ほら、行こう?」
行こう。と問いかけてはいるがすでに佐助の足は階段に差し掛かっている。そのことに抗議するでもなく、幸村は小さな力で佐助の首筋にしがみついた。
下に降りるとちょうど手伝い時であった。いつもならば我先にと駆けだしてお手伝いを言い出す幸村が、居心地悪そうに椅子に腰掛けてじっとしている姿は珍しいものだった。
「ほーら、幸。麻ちゃんに言わなくていいの?」
「……」
もぞもぞとしたかと思うと麻都と目が合うとピシリと固まって下を向いてしまう。
そんな反応を取られると、少し傷つくものだ。
スープを注ぐ手はそのままに苦笑いを浮かべると、兄の手が伸びて注ぎ終わった食器が浚われていく。
「まーこればっかりは俺様からは何も言えないなぁ」
「ふーん?」
「まあ、食べ終わった頃ぐらいには言い出すんでない?」
生返事をしながら、洗い場に溜まった器具を水につける。洗おうとスポンジをしごき始めると横からストップの声が掛けられる。
「洗い物は後でやるから置いといて」
「でも先に洗っといた方が後が楽だし」
「だーかーらー、俺がやるっての。麻ちゃんにはやってもらいたいことがあるから」
暫く言われた意味が分からなかったが、何となく合点がいって渋々スポンジから手を離す。
佐助に背中を押されて腰を下ろすと、テーブルの上にはすでにご飯もサラダも並べられていた。流石兄、いつの間に。
「ほいっ、じゃあいただきます!」
「いただきます」
「い、いただくでござる」
ゆっくりと咀嚼しながら佐助の話に相槌を打つ。横目で幸村の様子を見るがやはり元気がない。
いつも元気で溢れ返っているためなんだか物足りない夕飯だった。
深くため息を吐くと、びくりと肩を震わせ目が零れ落ちそうな程に目を見開いた幸村ががばりと顔を上げた。そして立ち上がると、麻都の背中に抱きついてきた。最早タックルと呼ぶに相応しい勢いのそれに喉を詰まらせて噎せる。
「あねうぇぇええ!!」
「ちょ、幸。麻ちゃんが……!」
「げほっ、ごほっだ、だいじょぶ」
幾度か咳をして喉の調子を整えて、机から一歩にじり下がると背中に張り付く幸村を剥がして膝に乗せる。
泣きそうなほど目を濡らした幸村が、ひしっと首に抱きついてきて、えぐえぐとかみながら喋り出す。
聞いているうちに、なんだか笑いそうになるのを必死に堪えて幸村の小さな背中をリズムよく叩く。
「ゆっきー」
「……はい」
「いつもなら『物壊すな』って怒るけど、反省してるみたいだから怒ることはしないよ」
「まことでござるか?」
「怒ってほしい?」
ぶんぶんと勢いよく首が横に振られる。
「ならいいよ。ご飯食べ終わったら直してあげるか新しいの作ってあげるから」
「……うむ」
にっかりと、先程まで泣きそうだったのが嘘のように明るく笑う。いそいそと膝の上から降りて自分の席に着くと元気よくごはんを かき込んでいく。
「よかったねぇ幸、ちゃんと言えて」
「よかったでござる」
「あ、でも今日のデザートは柿だけだから」
「そ、それがし、しょうじんするでござる!」
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途中から完全にやる気がないです。
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