『理由にはならないけれど』
デフォルト名:朔夜
居住を常世に移し、月が欠けてまた満ちた頃。
当初馴染めなかった岩造りの部屋にもようやく馴染みを覚えはじめ、第二皇子黒雷の妃としての振る舞い方もわかってきた。
食事もできうる限り二人揃って。彼が外へでるときは連れ立って歩き。
時には二人揃って城を抜け出して臣下を困らせて。
それほど長い時が経った訳ではないが、黒雷夫妻の仲は良好だと常世の誰もが知るところとなった。
傍らに腰を下ろした黒麒麟に背中を預けて、草原に腰を下ろした朔夜は髪をすり抜けていく指の心地よさに目を閉じた。
青臭い草と、生命の息吹を感じる大地が匂い立つのを肌で感じる。
恵が少なく、枯れゆく土地が多い常世にもまだ自然を感じられる場所はまだまだあるのだ。
そう言って笑い、よく息抜きと称して抜け出すアシュヴィンにもう何度つき合ったのだろう。
「ねぇ、アシュヴィン」
「何だ」
「楽しい?」
目を閉じたまま後ろに疑問を投げつけると、動いていた指が止まった。しかしすぐに動き始め、悪戯に指を髪に絡ませて軽く引かれる。同時にくつくつと笑いをこらえる音がする。
「お前の髪は幾度絡めようとも俺の指をすり抜けていく。まるでお前のようだ」
求めていた答えとは違うが、その声は楽しそうなので楽しいのかもしれない。
彼は、朔夜の髪に触れるのが好きなのだと気づいたのはいつだったか。
ただ静かに髪に指を通して、絡め。暫くすると満足したように離されるのだが。
「他人の髪をいじる機会などなかったからな。だが、存外楽しいものだ」
「そうね。……とても」
夕日に揺れる葦の様に金色に光る御髪を梳ることが好きだった。他愛ない話をして、出来上がった出来栄えを喜ぶ顔を見るのが好きだった。
己の髪よりも黒く艶がある彼女の髪を、下ろす役を誇りに思っていたのだ。
今でも、瞳を閉じれば思い出す。幸福に満ちていた日々。
頬に触れる冷たいものに驚いて目を開くと、黒麒麟が慰めるように朔夜に顔を寄せていた。
優しく光る金の瞳が、何かを語りかけているようで。
風になびく鬣にそっと指を添えた。
「ありがとう。……優しい仔ね」
「何だ、俺の役目は取られてしまったな。朔夜、お前の髪は俺が結う。だから、俺の髪はお前が結え」
言われた意味がよく分からずに、朔夜は目を瞬いた。
するりと背後から頬を撫でられ、黒麒麟が離れていくことを残念に思う。そっと温もりが添えられて頬を寄せてそっと目を閉じる。
「私でいいの?」
「お前がいい」
ふわりと肩を抱かれ、隣に移動していたアシュヴィンの肩に頭をもたれさせる。
どうして彼は、こんなに優しくしてくれるのだろうか。
疑問が胸をよぎるも、今はまだ触れてはいけない。そんな気がしてならない。
だから朔夜は言葉にはせず、穏やかな時間に身を任せた。
**
私にしては糖度が高めな話です。
[1回]
PR