何度時空を辿ったのだろう。
何度人がたくさん犠牲になったのだろう。
問いつめても答えは出なくて、いつも華織は望美と共に悩んでいた。
何度も悩み、何度も苦しみ、涙して二人がたどり着いたのは北国での平穏。
ようやく元の時代に帰ることができると安堵した時だった。
『何とかなるって思わないと何とかならないんだってすごく思うよ。華織がいるとなんとかなるなって思ってた』
「のぞっ……」
とっさに名前を呼び手を伸ばすが、届かない。
清らかな救いを与える白龍の神子らしく、暖かな光に包まれて彼女は消えていった。
「っ……!」
飛び起きると、板の目が美しい天井が目に入った。
パサリと冷たい何かが手に落ちて思わずつかむ。冷たくはなく、むしろなま暖かい濡れ布巾。
痛いほどの静寂に包まれた室内は、控え目に美しい調度品で飾られていた。
聞こえないはずの声が耳の中で響いて消えない。
「……諦めたら、運命は変わらない。……か」
手のひらの布巾がじんわりと温まっていく。感覚がなかった気がした四肢に血が巡っていく気がした。
「……そういえば」
ここはどこだ。
昨日まで寝起きをしていた平泉の屋敷ではない。
布団で何故寝かされていたのか。よくよく見ると寝間着用の浴衣が着せられている自分の身体。
ようやく意識を失うまでの記憶が蘇る。
五行が滞った空気。あまりにも変わった格好をした人たち。(角のついた兜とか赤のジャケットを素肌の上に羽織っていたりとか迷彩柄とか大胆なレオタードとか)
多数の怨霊達。
そこまで思い起こした華織は膝を立てて顔を埋めた。思い出すと疲労を感じてしまう。
八葉や神子がいない状態で浄化を行ったのははじめてだったが何とか成功したのは四神が札を通じて力を貸してくれたからだろう。
ふと無意識に懐に手をやるが、当たり前のように札はない。
さあっと血の気が引いていく。
慌てて立ち上がるが思うように力が入らずに、くらりと座り込む。
龍神の守護を受けぬ自分に加護を与えてくれた神々。
時空を越えても札が繋いでくれると言われ、無理を言って譲って貰った四神の札。
「……っあれがないと」
膝と肘を突いて畳を摺り歩き襖を目指す。
とりあえず今いる場所だけでも把握すればいい。この土地と気が馴染めば札は気配を辿っていけば見つけることができる。
あまり力の入らない身体に舌打ちをしながら襖に指をかけゆっくりと横に引く。
目の前に赤い着物が突然現れ、驚いて身体が硬直した。
赤い着物をまとった人物も襖が開けられるとは思わなかったのか、手を伸ばした形のまま呆けた顔で華織をのぞき込んでいた。
目が合うこと暫し。
先に我に返ったのは華織であった。
じりじりとにじりさがり身体の力を抜き畳に手を突く。なんだかどっと疲れた。
「っい、あ……。その……」
動揺の滲んだ声がかけられ華織はゆっくりと顔を上げた。
ばちりと再び目があった。
端整な顔立ちに、茶の髪がひょこひょこと飛び跳ねている。襟足の髪だけが長く伸ばされ、尻尾のように揺れている。
よくよく見れば整っている顔立ちは、某少年グループ(?)に所属していてもおかしくないほどだ。
その整った顔を真っ赤に染めた彼は、はくはくと口を開閉させるが何も言葉を発しない。
何かを言いたそうにしているのだが、初対面の人の言いたいことは残念ながら華織には読み説くことはできなかった。
「っも、……もうっ……」
「(…牛?)」
彼は顔をこれ以上ないほど赤く染めるとかっと目を見開いた。
「申し訳ござらぬぅぅぅぅううう!!!」
ドダドダドダドダと足音をたてて彼は走り去っていった。
後に残された華織は、ぽかんとしたままその場に立ち尽くした。
暫くの後、華織は着替えさせられて広い間に通されていた。
当然詰問されると思っていたから別段不思議ではないものの、にこにこと笑みを浮かべる女中に優しく世話を焼かれ、今も温かいお茶とお茶請けを出され困惑中である。
「あの……」
「あら、こちらのお茶請けはお気に召しませんか?」
「あ、いえ大丈夫です」
華織の答えに満足に笑うと、腰掛けた座布団の隣に掛け布を置いて最後に笑みを残して下がっていった。
「……ふう」
ため息をつくと、とりあえずお茶だけ頂く。こういう時に不用意に飲むものではないと思いつつも、少し自棄が入っているために疑いもせずに飲む。
目を閉じて精神を統一しても、五行は僅かにしか感じられない。
元々流れる量が微弱なのかもしれないが、それにしても滞りすぎである。
微かに穢れが混ざっているようでもある。
龍神の神子のように穢れに敏感なわけではないが、強いわけでもないしむしろ弱い。
奥州にいた頃、望美が倒れたのに華織がぴんぴんしていたのは四神の加護のおかげであった。
けれど今は、加護を繋ぐ札がない。
札は今、どこにあるのか。
考えるまもなく札の気配が近付いてくる。
同時に、堂々とした足音が複数近づいてきた。
それに纏われている覇気に、龍脈の邪気が洗われていく。
成る程と納得がいった。
龍脈が穢れているのに穏やかな空気が流れている理由。
襖を開いて現れたのは壮年の坊主なおじさまだった。
後ろから赤い着物を纏った先ほど絶叫した青年が立っている。
「病人に無理を強いて悪かったの。だが、女人の寝間に近づくのはもってのほかと言われてな」
呵々と笑いながら男性は、真っ赤になっている青年を見た。
つられて華織が彼を見ると、彼の赤面は増した。既に茹で蛸のようである。何をそんなに真っ赤になる要素があるのかときょとんとして見つめていると、彼は突然膝に手を突いて勢いよく頭を下げた。ごんっという痛々しい音を立てて頭が床にぶつかって華織がぎょっとするも彼は気にしないようで、どでかい声量で叫んだ。
「先ほどは真、失礼いたした!!!!」
「え、私の方こそすみません?」
自分でも何に対しての謝罪か分からず疑問系である。だが彼は気にしないのかそのまま続ける。
「佐助から目を覚まされたと聞いて、ご様子を見に行こうとしたのだが、あのように失礼を致して!!!」
「あ、あの。私は別に気にしていないので……」
「申し訳ござらん!!!」
話が進まない。
どうしたら頭を上げてもらえるのかと助けを求めるように上座に座る男に視線を向けると、彼はにやりと笑いゆっくりと立ち上がった。
「幸村!!」
「はっ」
呼びかけに顔を上げた青年と見つめ合うこと暫し。
男の腕が大きく振りあげられたことに再びぎょっとする。
「この馬鹿者がぁぁぁぁあああ!!!!」
盛大に頬にめり込んだ拳によって青年は、閉じられた襖。庭に面している方へと景気よく吹っ飛び、室内から消えていった。
言葉が出ないまま座り呆然としていると、笑顔を浮かべた男が再び上座に腰を下ろした。
「騒がせてしもうたな」
「いいえ……」
「まあ、まずは互いに名乗りを上げるとしよう」
にこりと微笑まれた華織はその言葉に背筋を伸ばすと三つ指をついてそっと頭を垂れる。
「天河華織ともうします」
「ほう……。儂は武田信玄じゃ。この甲斐を治めておる」
「え……?」
「ん? おお、先ほどの若造は」
「お館様ぁ! 其、自分で名乗りを上げとうございます!!!!」
聞き覚えのある名前に思わず声を漏らすも、青年の声に掻き消えた。
「其、真田源二郎幸村と申しまする。お見知りおきを」
「はい、よろしくお願いします」
とりあえず名前が分かっただけでなんとかなるだろうか。
日本史が望美ほどでないとしても苦手な華織でも、武田信玄は名前を知っている。戦国時代の武将である。ただ戦国時代のどの辺りかは分からない。
本能寺の変が起こるよりも前に活躍した武将ということしか分からない。
「見ず知らずの私に、手厚い看病をありがとうございました」
「よい。聞けばそこの幸村を救ってもらったとか。恩人に礼をせずに放り出すような男ではない」
「はい。其、天河殿に窮地を救っていただいた恩を忘れませぬ」
華織の記憶の中では、別に窮地を救った覚えはないのだが武士(?)というのはやはりそういうものか、と仲間を思い出して納得する。
「おお、そうじゃ」
にこにこと懐に手を入れた信玄は四枚の札を手にして、目の前に置いた。華織の加護を受けている四神の札に違いない。
「札がそなたの元に帰りたがっておっての」
「札が…でございまするか?」
どきりとした。まさか札に神の力が宿っていると知られてしまったのか。
膝の上で握った手が、裾に皺を強く作った。
「そうじゃ。この札は、儂にではなく華織という娘に授けた尊き導。愛しき神子と神を繋ぐ大切な標故、娘の意識が戻り次第返してやって欲しいと」
「なんと! 札が言葉を話したのでございまするか?!」
「いや、佐助の烏が口をきいての」
幸村が不思議そうに首を捻るが思わず華織も同じように捻ってしまった。
なぜ烏の身体を借りて話すことができるのか。というよりも平然と受け入れてにこにことしている信玄の器量の大きさにも感服する。
「濡れておらぬ。曲がりはせぬで皆かなり怪しんでおったが神の力が宿るならば道理。元の持ち主に帰さねばならぬと」
説得してくれたのだろう。ふつう、優秀な部下ほどそういったものは手元に置くか遠ざけるか進言するはず。
それを押しのけて初対面の娘の持ち物を返した。もちろん弓は返ってこないだろうが、それでも一番大切な札が手元に戻ってきた。
優しい視線に促され、華織は札を手にした。柔らかな気が指を通して身体に流れ込み、あたたかさに包まれた。
指先の隅々まで浸透したとき、ようやく欠けていた一部が収まった。そんな安堵に包まれた。
「……有り難き配慮に感謝いたします」
「よい。では、おぬしの話を聞こうか」
話とは、何から話せばいいのだろうか。
現代から龍神に呼ばれたこと? 二つの時代に行ったこと? それとも己の役割のこと?
ふつう、すべてを話しても信じては貰えないだろう。けれど、上座から笑みを浮かべて華織を見る信玄を見て思った。
この人なら受け入れてくれるのではないか。大した根拠があるわけではないが、何故だろうかそう思える。
「私はこの時より約500年後のこの国で生まれました」
「ごひゃっ?!」
「よい、幸村よ話を遮るでない」
「はっ」
視線で続きを促され、華織は口元に笑みを浮かべた。
洗いざらい話せる部分だけ話してしまえ。そんな決意とともに口を開いた。
「17まで平穏に育ちました。けれど、冬の雨の日友人達とともに白龍……白き龍の神に喚ばれ、今より400年前の京に降り立ちました」
ぽかんとした顔で華織を見る幸村に苦笑を浮かべ、動くままに言葉を連ねた。
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細かい設定の説明話はカットします。
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