範にて黄旗が揚がる。
簡素な言葉で香寧の文は始まり、そして終わっていた。
次は範に行く。ある程度状況を見て、戻る。勝手に出歩かないように。
締めの言葉に雁国主従は浮きかけた腰を渋々下ろした。
黄旗が揚がったというのに範の人々は浮かない顔をしていた。
黄旗。すなわち麒麟旗が揚がったということは、蓬山におわす麒麟が王の選定に入ったことを示す。
王が選ばれれば天災は収まる。
だが、範の人々が浮かない顔をしているのも香寧にはわかる気がした。
まだ営む気力のある茶屋で香寧は小休止を取っていた。
「お客さん、外の人だね?」
のんびりと茶碗を机におくと香寧は話しかけてきた店の者に顔を向けた。
「……ああ」
「どこか聞いても?」
「支障はない。雁だ」
香寧の予想通り店の者は一瞬だけ羨ましそうな顔をするとすぐに落胆したように苦笑を浮かべた。
「……雁のお人には何もない国だけどね」
「……いや」
あの荒廃に比べれば。その言葉を飲み込むと香寧は静かに茶碗に手を伸ばした。
「……雁は、腕が売りだったな」
突然割って入った人物に別段驚くことなく香寧は店の者に目配せした。心得たのか店の者は突然入ってきた人物。顔立ちがすっきりとした青年にも茶を出した。
「よく知っているな」
「……雁も特に産出するものがないわりに他国との取引が成り立っているからな」
「……怪我の功名のようなものだがな」
疑問符を浮かべる青年に香寧は首を横に振って失言を無かったことにした。
「このまま国が復興したとしても範には何もない」
「……民がいるじゃないか」
「……だが、民にも何か目指すものがあれば復興の度合いも代わり、後々国が豊かになる」
そこで言葉を切り香寧を見る青年は「雁のように」という言葉を飲み込んだようだった。
豊かになった雁だけを知るものには知らないことがある。
普段はそこまで説明する気が起きないと言うのに香寧は何故かそこで微笑が浮かんだ。
青年も何故そこで笑われるのかわからないのだろう。端正な顔を少し不可解そうにゆがめる。
「すまない」
笑いを堪えながら謝罪を口にすると青年は納得がいかないようだった。
「市井を歩き旅の途中の私のようなものと茶を酌み交わす人間がまるで王のようなことを口にしたから」
おもしろいと思ってしまった。
「いいことを教えよう」
「…なんだ」
「雁があの腕を身につけたのは偶然だ。……いや、必然だったのかも知れない」
ある程度豊かになり始めた数十年前に進めた計画。
「なに単純だ。王が国全体の建物を統一してしまえと言ったから民は必然と腕を身につけた。いつの間にか外交に使えるようになっただけのこと」
「……」
「範には民がいる。荒廃は……妖魔までもが飢えるほどではない。なんとかすればなんとかなる」
実際になんとかしてしまったのだから。
香寧の言葉に深く考え込んでしまった青年と自分の分の代金を机に出すと香寧は剣を手に立ち上がった。
その時の気配に気づいたのか青年も慌てて立ち上がり既に店を出かけた香寧の背中に声を投げる。
「名をっ、名をお聞きしてもよろしいか!」
香寧は立ち止まると、うっすらと笑みを浮かべた。
「香寧だ。栴香寧、雁国靖州師右将軍」
「呉藍滌、だ。……将軍がこのような最果てまで来ていてもよろしいのか」
「おそらく雁だけだろう。このような暴挙を許すのは、な」
官吏達もむしろ歓迎している風があるのは、香寧が出かけることにより王が出歩く口実が減ったことだろう。だからと言って雁国主従が出歩く回数が大幅に減るわけではないのだが。
仕方がないといったように笑う香寧をどう取ったのか彼はなんともいえない表情を浮かべていた。
「……また、会えるだろうか」
「そうだな、しばらくは範に滞在するつもりだから縁があればまた会えるだろう」
まさかこのときの青年に今後もつきあいができるとはこの時の香寧は思いもよらなかった。
美しい襦袢に身を包み扇を広げる範国国王氾、呉藍滌はついと香寧を見やった。
「…、なにか?」
「いやなに、そなたは変わらんのと思うて」
「変わって欲しいのか?」
鼻で笑う香寧の前に静かに立つと彼はついと扇を使って香寧の顎を掬った。
「つれないところは変わって欲しいとは思うがね、だがそれもそなたの魅力だろうて」
「…私にそんなことを言うのは君ぐらいだと思うけどね」
「だから山猿達はわかっておらぬと言うのじゃ」
ふふふと男のくせに蠱惑的に笑う藍滌を見上げて香寧は「首が痛い」とのんびり思っていた。
(不思議な言葉でいくつかのお題)
「媚薬のような囁き」をおもしろいと言ってくださった方にお礼を…!!
あんまりラブくない仕上がりになりましたがい、いかがでしょうか…??というか出会い編ですね。
とまあこんな風にサイトの方で反応をいただけるとよろこんで調子に乗る人間です。
藍滌さまって登極前はなにをしてたんでしょうね。
とりあえず……意表を突いて反物屋とか?
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