仕事が終わりのんびりと後宮の自室でくつろいでいると遠くから聞きなれた声の絶叫が聞こえた。
それは久しく聞いていなかったもので思わず口角があがるのを抑えられなかった。
梅雨入りを果たした彩雲国では、有紀の故郷でよく見られた移り気の花言葉を持つ紫陽花が咲いていた。
それを押し花にしていた栞を本に挟むと迷子の幼なじみを連れ戻しに自室を出た。
しとしとと雨が降る中、湿度と自身の手によってくしゃくしゃになった地図を握りしめて鉄壁の理性を自負する吏部侍郎、李絳攸は目をつり上げた。
「ここはどこだ!! いつから吏部は移動したんだ!」
ぴちょん、と屋根の縁から落ちて紫陽花の葉に雨粒が降り落ちた。
本人は絶対に認めないが迷子中の絳攸は非常に苛立っており、些細な音を立てた紫陽花を親の敵とばかりに睨みつけた。
「紫陽花を睨んでも何も変わりませんよ?」
慌てて振り向くとくすくすと笑っている有紀が立っていた。
大人げない(さすがに冷静になるとそう思われる)姿をずっと見られていたと気づいた絳攸は恥ずかしさがこみ上げぷいとそっぽを向いた。
「覗き見とは趣味が悪いぞっ!!」
耳が少し赤いのが隠せていないのを見て有紀は思わず笑ってしまった。それを耳ざとく聞きつけた絳攸は勢いよく振り返り有紀を睨みつけた。
女官姿の有紀を上から下までじっくりと見ると片眉をつり上げた。
「……仕事はどうした」
「終わったのでくつろいでおりました」
「普通に話せ」
絳攸は有紀が敬語で話すのが好きではなかった。
一応女官であるために位が高い絳攸に敬語を使うのは当たり前であるのに彼はそれを厭う。
そんな絳攸のまっすぐなところが好きでいつも怒られると分かっていて敬語で話すのだ。
「……有紀がいるということはここは……」
「後宮だよ。絳攸は」
「……仕事中だ」
憮然たる面もちで腕を組む彼はどこか投げやりだった。付き合いが長いだけに仕事中なのに後宮をうろついている理由を指摘されても腐れ縁に指摘されたときよりも怒りはわかない。
「じゃあ道を間違えたんだね」
「……そうだ」
地図が悪いと言わんばかりに強く握りしめる絳攸を見てプライドが高いのは相変わらずだと思わず笑いがこみ上げる。
「どうせずっと迷ってたならもう少し迷子になっていたことにしない?」
突然の誘いに彼は疑問符を浮かべた。
「こんな風に絳攸とゆったりと過ごすのは久しぶりだね」
「そうだな……。俺が官吏になってから……か?」
後宮の自室に招いた有紀に彼ははじめは
「節度を持て!! 男を簡単に招き入れるな!」
と怒鳴ったが有紀が苦笑を浮かべ「黎深様はよくいらっしゃるよ」と告げるととたんにおとなしくなった。
お茶とお茶請けを出すと絳攸は少し表情を和らげた。
彼が数刻も後宮でぐるぐると迷子になっていたことは想像に難くない。
主上付きになったけれど肝心の主上には見えることが叶わず、真面目な彼は非常にいらいらしている。
そんな主上を変えるために有紀の大切な友人……紅秀麗に白羽の矢が立ったのだ。彼女が後宮にやってくる前に有紀は秀麗を支えられるようにと後宮に入った。
この采配がどのような結果をもたらすかまだ有紀は知らないが今このときを大切にしたかった。
「ゆっくりしたら外朝まで案内するね」
「……頼む」
それまでは久しぶりにゆっくりと会話を楽しもう。
お互いの穏やかな顔がそう語っていた。
(不思議な言葉でいくつかのお題)
彩雲国の原作沿いを二巻まで買いてみたいです。(首締め)
[2回]
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