雪が降っていた。
辺り一面を多い隠してしまう白い使者。
なにに誘われたのか夜も深まる時刻に肩掛けのみを羽織り有紀は外へと足を踏み出した。
凍てつく寒さが背中を覆い身が震えるが、いたずら心はやまない。
何の音もしない庭院に、サクリと雪を踏む音が響いた。
共に漂うのは慣れない気配。全く知らない気配に体が竦む。
雪が降る音がしている気がする。おそらくそれは幻聴で、心臓の音が耳元で聞こえるようだ。
勇気を持って振り返れば、そこには白銀の髪を持つ、気配が強くとげとげしい空気を纏った青年が立っていた。
「…誰だ」
見た目に伴い声も聞き惚れそうなほど美しい。けれど鳳珠には負ける。
それを思い雪を見ると、あのときを思い返すからだと思いだして有紀はふわりと笑った。
「ここは後宮ですよ。主上の許可なき方はご退出願います」
「後宮、か…」
つぶやくと彼は空を見上げた。肩から白銀の髪が滑り落ちる。
「迷われたのですか?」
サクリ。音を立てて有紀は前に進む。
白銀の髪に積もった雪を伸ばした指先で払い落とすと彼の視線が有紀に集中しているようだった。
じっと眸を見返すと有紀はふと肩に羽織っていた肩掛けを外し、彼に差し出す。
「…体を冷やしてはいけないのは女性の方だ」
受け取ろうとしない相手に有紀はふわりと笑みを浮かべた。そして小さく首を振る。
「いいえ、年輩の方は敬い大切にしなければ」
そう言って問答無用に彼の肩に肩掛けを羽織らせる。驚いたような気配がするがそれは黙殺して、そっと相手の手を取った。
野良仕事や武術とは無縁だと如実に語る手は、有紀の想像通りやはり冷えていた。
「このまま外朝までご案内いたします。と言いたいところですが、温かいお茶でも飲んで行かれますか?」
「…年頃の娘が不用心なことを言うな」
「では温石は?」
「いらない。案内していただこう」
申し出はほぼ断られたが、手はふりほどかれなかったので有紀は微笑み、外朝を目指した。
「木瓜は庭に植えてはいけませんよ?」
「植えていない」
さくさくと雪を踏み分けて回廊へと渡ると彼は憮然とした面もちで言った。
こんな時間に後宮に迷い込む人間だからどんな人物かと思ったが、意外と迷信を信じるタイプだったらしい。
その後は会話などなく、雪が降り続ける以外になにも起こらなかった。
さすがに夜半時であり風は冷たく、雪によって冷えた冷気が容赦なく回廊に吹き込む。
思わず肩が震えたが、自分で渡しておきながら上着を返して欲しいなどと言えるはずもなく、かといって無言で自分の腕をさすっても寒いですと言っているようなものなので、我慢した。
だが所詮はやせ我慢なので、カタカタと体が震えるのはどうしようもなく、それを押さえようと意識をそちらに集中していた。
だからなのか、唇が震え、歯が鳴らないように気をつけている有紀を横目で見ている彼には気づかなかった。
長く感じていた外朝へと続く回廊もようやく終わりが見え、ほっと一息つきそうになるのをまたも堪えながら有紀はなけなしの笑顔を浮かべた。
「着きましたよ。この先からは外朝になります。歩いていても咎められることはないと思いますが、警備の方に見つかると言い訳が面倒だと思うので上手く歩いてくださいね」
「……私が誰なのか聞かないのか」
ずっとそれが聞きたかったのだろうか、彼はじっと有紀の眸をみた。
月明かりと僅かな篝火しかないために、有紀には彼の表情はわからなかったが本当に疑問に思っているのが眸からわかった。
「危ないことを考えている方で離さそうでしたし、なによりも」
彼から視線を外して不意に庭園を見る。
雪はまだやまない。
「後で咎められて名前を聞かれても知りませんと言っても嘘にはなりませんからね」
彼が笑ったのが気配で分かった。
ふわりと有紀の肩に暖かいものがかかる。
見なくてもわかる。最初に貸した肩掛けだ。
「…早く戻って体を温めなさい」
「…ありがとうございます」
まさか気遣われるとは思っていなかった有紀は肩掛けを軽く握り、彼を見上げながら相好を崩した。
「…名を」
「有紀と申します」
「…リオウと言う」
覚えておきますねと小さく答えると彼は返答をせずに踵を返した。
立ち去る姿はとても美しくどうみても年齢にそぐわなかったが、有紀はあまり気にもとめていなかった。
後日、用事があって戸部を訪れた有紀は景侍郎に出されたお茶にくつろぎながら仮面を外した鳳珠を見てにこにこと笑った。
「年をおとりになっても美しい方は鳳珠さま以外にもいらっしゃるんですね」
「……有紀、なんと言った?」
(冬に咲く薔薇)
標璃桜さまに遭遇してみる。字を登録していないので間違えているこ可能性大。
木瓜の木を植えるとぼけるとか未だ信じている人はそう居るまい。
[2回]
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