それは決して手には入らない。
優しい声で名を呼ぶ母親。
それは無邪気に遊ぶ子供の名なのだろう、無邪気に答える甲高い声。
穏やかな夕暮れの見馴れた光景。
あたたかい、どこにでも見かけられるのどかな日常はしかし、ルニアにとっては経験したことのない非日常だった。
雲の隙間から差す茜色の光に染まる地面に親子の影法師が映る。
「ルニア」
突如誰かに肩を叩かれ、ルニアは驚いて振り向いた。
薄い金色の髪を茜色に染められ、優しげでけれどどこか寂しさをたたえた青い眸にルニアが映っていた。
ガイラルディアその人が立っていた。
女性恐怖症の彼も最近は肩に触れるくらいはできるようになった。今では、マルクトに戻り伯爵位を継ぎ、忙しい日々を送っていた。忙しさの原因は一部の権力を振り回す人間でもあったが。
「そろそろ夕飯の時間だぞ」
「……うん」
「…何かあったのか?」
ぼうっとしている感が否めないルニアの様子にガイは彼女の目の前で軽く手を振る。そんなことをされなくとも見えていると言いたげにルニアは彼の手を強く握った。
やはり自分からする場合と違い心の準備がいるのかガイは腕を捕まれた瞬間肩をピクリとふるわせた。
「なにもないわよ。……ねえ」
「ん?」
ガイを見て、目元を和ませるとルニアはグランコクマの広場へと視線を走らせた。
皇帝陛下のお膝元とあるだけあるのか、美しく人々は皆誇りに胸を張って路を歩く。
通り過ぎる人は皆、笑顔であたたかい。
遠目に見える広場の噴水は、水しぶきが光に当たってきらきらと光輝き、一部は茜色にも輝く。
居住区から聞こえるのは幸せそうな人々の声。
「街の住人全員が幸せとは言わないわ。でも」
先ほど見ていた、憧れの情景。
思い浮かべたのか彼女の色違いの双眸は細くなり微笑みを浮かべた。
「とても、あたたかい水の都」
どこか寂しさを浮かべていることに気づいたガイはけれど、なにも言わずに小さく顎を引き相づちを打つに留めた。
「行こう、今日は久しぶりに俺の手料理だ。心して味わうんだぞ?」
「ふふふ」
手をつないで帰ろう。
そうしたら、迷子にならない。寂しくもない。
(ワイングラスの中の月)
二度と取り戻せない暖かな家族とのやりとり。
でも今からでも作れる。
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