誰かに必要としてもらえることはこんなにも、心に歓喜をもたらす。
秀麗が昨日、後宮を辞した。
そういう契約だったからではあるが、あまりにもあっさりとした去り際に彼女らしさを感じて有紀は笑った。
そして彼女が去っていったことにより、この宮での有紀の存在理由がなくなった。
秀麗を影からそっと支える。
言われなくとも心配であったために、お節介とわかっていながら有紀はその頼みを引き受けた。順序が逆になっていようと構わなかった。
鳳珠が何もいわず、許してくれたのは有紀の最近の考えを見抜いていたからだと有紀は知っている。勿論、女官の仕事を持ってきたのは霄太師であったために有紀にも鳳珠にも断る余地はなかった。けれど、黎深のように表だって反対することを彼は決してしなかった。
内乱が収まってから有紀は、全国津々浦々天心修行の旅にでた。だが、それがただの口実であることは本人も鳳珠もよく知っていた。
自分探しの旅と言えば聞こえはいいのかもしれない。だが、この旅で有紀は自分が思っていたような成果は得られなかった。むしろ世の中の狭さを思い知ってしまった気がした。
自分は平凡であるということを身に沁みて思い知り、旅を続けることに疑問を感じていた。
思っていたよりも女官の仕事は大変でとてもやりがいのあるものだった。
だから、これからどうすればいいのかわからなかった。
役目を終えた以上、自分もこの宮にいる意味はない。退くべきだろう。だが、未だ臆病な自分には言い出せなかった。
秀麗が居なくなってしまい、悲しそうな主上に『私も退かせていただきます』と。
「有紀」
府庫でぼんやりとしていた有紀は後ろに劉輝が立っていたことに気づくことができなかった。あわてて振り向くと、彼のこれ以上ないくらい不安が溢れかえっている真剣な顔が目に入った。
「劉輝様……?」
「有紀。そなたにお願いがあるのだ」
「はい」
「有紀」
名をもう一度呟いて不安な顔をする劉輝から有紀にも不安が伝染した。
一体何を言われるのだろうかと。
後宮から退くように言われるのかもしれない。
そう考えると彼の不安で真剣な表情に説明が付く。彼は優しいから、どう言えば自分が傷つかないか考えてくれているのだ。
これから真剣に政を始める王にはのんびりと話を聞き、お茶を飲み交わす女官などいらないのだ。
マイナス思考に陥ると、不安な想像に拍車がかかる。
そうだ。簡単なことだ。
優しい彼に苦しい思いをさせてはいけない。
「主上、私からもお話があります」
彼がさまよわせていた視線を有紀に向けた。けれど、有紀はその視線をまっすぐにみれなかった。
「秀麗ちゃんがいなくなってしまった今、私がここにいる理由がなくなってしまいました」
だから、不必要な自分は居なくなります。そう続けようとするが、何故か目の奥が痛い。
自分で自分を苦しめる発想をして自分を哀れんで泣くなんて……。
そんないやな自分を劉輝に見せないように、勝手にこぼれそうになる涙を奥に閉じこめるために有紀は固く目を閉じた。
「主上、私は……」
「そうではない!余の話を最後まで聞いてほしい!」
「主上…?」
有紀の言葉を遮ってあわてて大声をあげる劉輝に有紀は思わす降ろしていた瞼をあげた。いつのまにか目の前にいた劉輝はものすごく焦っていた。
「全く絳攸の言うとおりだったぞ。有紀、余のお願い事を聞いてほしい」
「は、はい」
「秀麗のためにいたから居なくなるというのなら、今度は余の為に居てほしい」
「……はい?」
焦っていた彼はまた、はじめと同じ不安で真剣な顔に戻っていた。
「これまで通り、有紀には居てもらいたいのだ。忙しくなるから少し難しくなるかもしれないが、またのんびりと有紀の作ったどうなっつを食べながらお茶を飲みたい」
「……私でいいのですか」
「余はのんびりとお茶をする相手は邵可と有紀がいい」
真剣な顔で頷く劉輝に有紀は涙が止まった少し赤い瞳を細めた。自分の勝手な想像で彼を慌てさせてしまったことを反省しながら、まだ自分を必要としてくれる彼に深い感謝を感じて。
「では、私はこれまでどおりに秀麗ちゃんに玉砕して絳攸にけなされて、藍将軍にいじめられた劉輝様のグチのこぼし相手としてがんばります」
「玉砕はしないのだ……」
楽しそうに笑う有紀に劉輝はほっと胸をなで下ろした。
彼が慌てていながら不安を隠せなかった理由は、昨日絳攸と交わした会話が原因だった。
――主上、また有紀に泣きつくつもりですか?
またけちょんけちょんにされた劉輝はメソメソとしていたが、呆れたように言われた絳攸の言葉にがばりと顔を上げた。
「な、何故絳攸が知っているのだ?!」
「そんなこと誰でもわかります。それよりも、私が言いたいことはそんなことではありませんよ」
「どういうことだい、絳攸」
楸瑛の問いかけに絳攸は、手に持っていた書翰の山をドサリと置いた。
「付き合いが長いからな。今、あいつの考えていることなら手に取るようにわかる」
「……うらやましいのだ。余も、余も秀麗と…!
「はいはい主上。今は絳攸の話を聞きましょう」
楸瑛をねめつけると絳攸は、珍しく顔を曇らせて腕を組んだ。
「……あいつは今後宮を去ろうか悩んでると思う。引き留めないと泣きつく先がなくなりますよ」
暗い顔をしている割にあっさりと言われてしまった言葉に劉輝も楸瑛も言葉に詰まった。
「だ、だけど絳攸。何故有紀殿が後宮を辞すんだい?」
「……」
「絳攸!ど、どうすれば有紀は残ってくれるのだ?!」
「……では、主上はあいつに残ってほしいのですか?」
「当たり前なのだ!」
楸瑛に対する答えを放置したまま絳攸は気にせずに劉輝に対して指を突きつけた。
「ではその理由を彼女にきちんと言えば、辞めるとは言いません。いい加減な理由をでっち上げれば……」
そこで彼は言葉を切った。当然続きを待つ二人は絳攸をじっと見る。
「……まあ、帰るでしょうね」
「納得いかないね。それなら君が口ごもる理由がないだろう?」
「うるさい!」
正直に言って、『主上』と呼ばれ、辞めると言われたらどうしよう。
そのことが重く劉輝にのし掛かっていたが、杞憂に終わってほっとした劉輝であった。
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この時期に書くと全てがだめですね。ぜんぜんまとまらない。
彩雲国新刊早く読みたいです。
何故手に入らぬ!
でもとりあえずは、女官を続ける予定はこれで決まりです。一巻の前後もこの話を軸に決めます。よって今までのは微妙に調整。でも白紙の地図は内容変更はなし。加筆修正は入れますが
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