虹の彼方に
デフォルト名:綾音
空を切る音を聞きながら型を確認しながら体を動かしていると、何か優しい音を耳が拾った。
不思議に思い手を止め耳を澄ますと、空耳ではなくしっかりと心の中で響いた。
哀愁を誘う旋律は、楽が弾くものではなくて、優しく柔らかい声音が楽器であった。
独奏、とでも言うのだろうか。寂しくもなく、ただ雄大に響く音は九郎の心を打つ。
その声は、聞き慣れたものでありながら知らぬものだと勘違いしてしまいそうで。
不安に駆られて足をそちらへと向けるその頭からは鍛錬のことなど抜け落ちていた。
渡廊を軋ませながら音がする方向へと歩くと、不意に声のみの旋律に他の音が加わった。
互いを邪魔することなく寄り添い合う音にふと足が止まる。
声の主も笛の音の主も検討がつく。
そういえば、と思考に耽る。件の二人はあまり他人と共にいるところを見ることはないが、この二人で共にいる姿は自然に思えるほど。
濡れ縁に隣り合わせで腰掛け合い、楽しげな後ろ姿。
双方共に目を瞑り学の世界に身を浸しているようだった。踏み込むことを戸惑う世界に九郎は進ませる足を止めざるを得なかった。
笛を奏でるは八葉が地の玄武、平敦盛。隣で言葉を紡ぎ旋律を奏でるは白龍の神子が妹、春日綾音。
聞き覚えのない言葉の唄は、綾音が好む異国の旋律なのだろう。何度も聞いたことがある唄ではあるが、言葉の意味を尋ねたことはない。
気づけば踏みとどまり、揺れる鴛鴦のような背中を眺め世界に引きずり込まれていた。
「九郎?」
唐突に肩に置かれた手に驚いて振り返ると、己の片割れが口角を持ち上げて笑みを浮かべていた。気配に気づくことのなかった己に動揺しつつ、片割れの名を呼ぶ。
彼のさっぱりとした笑みが心地よい。
「将臣」
「お、綾音と敦盛か。あいつらってよく一緒に居るな」
「そうだな。共にいるのが当たり前の鴛鴦のようだ」
先ほど脳裏を過ぎったものに例えて笑うと、将臣はぎょっとしたようだった。
拙い例え方をしただろうかと首をひねるもこれ以上ないくらいよい例えだと自分では思うのだが。彼はそうではなかったらしい。
言葉を探すように言葉を濁し頬を指先で掻く彼は、「あ~その、」と呟いた。
「綾音は何だかんだいいつつ他人とは距離を置く奴だからな。まあ、望美のせいといやそうなんだが」
「?」
なぜ望美の話が?と言いたげな九郎を視線で黙させる。
「綾音が他人にあんなに距離を許すことはあまりない。敦盛も見た感じ同じ様な質だろう? 似たもの同士ってとこか?」
苦笑う将臣の視線は言葉はそれとは裏腹に優しさを孕んでおり、庇護者を見守るもののようであった。親鳥が飛び立つ仔らを暖かく見守るものにも似ていて、九郎は不意に何ともいえない心持ちになった。
「九郎?」
「あ、ああ…すまない」
「いや、急にぼーっとするから驚いただけだ。なんか気になるのか?」
その問いかけに以前から気になっていたことが浮かび上がる。
尋ねてもよいことなのか判別がつかないが、駄目ならば答えを得ることはできないだろう。そう結論づけると、九郎は思い切って疑問を口にした。
「綾音が唄う歌はなんという意味なんだ?」
「あー…」
必死に思いだそうとする将臣は、顔をしかめたり苦い笑みを浮かべたり、頬を掻いたりと忙しなくなる。が、急にぶつぶつと呟きだした。
「『いつか、虹の向こうに行けたら』が歌いだしっつーのは覚えてるんだが……悪いっ」
「いや……こちらこそ無理を言ってすまない」
「知りたかったら綾音に聞いてみてくれ」
翻して笑みを浮かべた将臣のそれは何故か切ないもので九郎はそれ以降口を開くことができなかった。
(不思議な言葉でいくつかのお題2)
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