ひな鳥が親鳥に餌をねだるように、それは自然な行動。
「邵可様?」
どっさりと大量の書物を手に、有紀は府庫を訪れた。
広い室内に静かに響き、そして室にいる本達に声は吸収された。
辺りは静けさが漂う。
時は王位争いが激化しつつある年。
女の身でありながら不純な動機で国試を受け、そして受かってしまった有紀は『黄有紀』としてではなく、一つ上の兄(現実には存在しないが)『黄瑛玉』という人間として朝廷の工部の官吏として在籍していた。
府庫を管理している紅邵可は、出仕と自主休日を交互にとっていて、今日は出仕してくる筈だった。
傾き始めた朝廷から離れ、彼は王位争いの余波をまともに受け、貧困に喘ぐ貴陽の町のために東奔西走していた。
時期に完全に出仕してこなくなる。邵可の口からそう告げられたのはつい先日のことである。
朝廷が完全に機能が停止する前に打つ手は打ちたいという一部の官吏のために有紀もまた、朝廷から身動きが取れなくなっていた。
けれど少しでも邵可の、延いては町の人のために何かできることをと、植物の本を片っ端から集め、時間の合間をぬってそれらをまとめあげて冊子にした。
それを邵可に渡すために訪れたのだが、彼はまだ居ないようだった。
いないのならば仕方ない。
自分の先輩が数刻の休みをくれたので、勝手に悪いが府庫で休憩させてもらうことにする。
時間までに邵可がきたら手渡せばいいし、来なかったら書き置きを残しておけばいいのだから。
新しい薬草の本を棚から抜き出し、お茶を淹れる。
だが、優しいお茶の香りを嗅ぐと張りつめていた糸が切れたように急に眠気におそわれた。
霞む視界の中、辛うじて本を机案の向こうにどけて、そのまま意識は暗転した。
次に意識が戻ったとき、周囲に人の気配を感じた。
ゆっくりと起きあがると肩から何かが落ちる感触がして、ぼんやりと下を見ると見慣れない衣が落ちていた。
腕を下に伸ばして指で摘むと柔らかなさわり心地でそれだけで上等品だと分かる。
力が戻ってきた目でそれを見ると、薄い紫色をしていた。
「…禁色?」
「おや、起きられましたか?」
「邵可さま……?」
柔らかく笑う音がした。そっと指で目をこすり辺りを見渡して状況を確認した。
邵可の定位置の斜め前に有紀は腰掛けてうたた寝していたのだが、邵可の正面。有紀の斜め前に誰かがいた。
「邵可さまのお客様でいらっしゃいますか?」
有紀より少し幼い年の少年がいた。
まるで得体の知れないものでも見るかのような表情で有紀を見ている。
「ええ」
「そうですか。初めまして、黄瑛玉ともうします。お見苦しいところをお見せしたあげく、上着を貸してくださりましてありがとうございます」
へにゃりと笑いかけると、少年はどうすればいいのか分からないのか戸惑ったように邵可をみた。それに対して邵可はうなずき返しただけであったが、少年は再び有紀と向き合うと戸惑いを隠さないまま。
「どういたしまして…」
とだけ返された。
「邵可様、お茶をお淹れしますか?」
「お願いしてもよろしいですか?」
うたた寝をする前に自分で淹れたお茶を手にすぐに立ち上がると、茶器を用意してお湯を調達しにいく。
やがて芳しいお茶の香りが中りに立ちこめた。
邵可、少年の前に茶器を置くと静かに腰掛けて、茶器を手に取った。
そうしてから、府庫に来た用事を思いだした。
「邵可様、お渡ししたいものが」
「おや、なんですか?」
にこにこといつもと同じ笑みを浮かべる邵可の奥に、哀しみと憤りを見つけた有紀はそっと目を伏せ冊子を取り出した。
「あると便利かと思いまして、差し出がましいことを……」
「これは……」
「効能のある薬草、食べられない植物をそれぞれ纏めてあります」
食べられる。ではなく、食べられないもの。
これから更に悪化の一途を辿るだろう現状を思うとそのような分類になってしまった。
静かに頁をめくる邵可の言葉を待った。
「瑛玉君も忙しいのにありがとう。是非使わせてもらいますね」
ほんわりと邵可独特な笑みを浮かべ、彼はそっと本を閉じた。
そのときは少年の名前には触れず、有紀は工部へと戻った。
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アナザーストーリー的なものです。
本編の有紀は劉輝にあったことはありません。(紛らわしい)
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