本日はお日柄もよく。
そんな言葉が似合わない曇天の日の朝。軒を静かに降りた有紀は頬を撫でる冷たい風にそっと目を閉じた。
いつもならば揺れる髪を通して風を感じるのだが、今は結い上げているためにいつもとは違う感じがした。
「頭重たいなぁ…」
髪を結い上げるのを嫌がる有紀は普段は軽く飾りを着けただけで黒髪を鳳珠の様に後ろに流している為に、髪をすべて結い上げるというのは慣れないことであり苦痛であった。
だが男児と同じように結い上げている為、装飾は紐と気持ち程度の石なので、女髪を結い上げることに比べればいくらかはましかもしれない。
世間一般の男の子のような格好、いわば男装をした有紀は目の前で驚愕に顔をゆがめている絳攸を見てきょとんとした。
「おはよう、絳攸」
「っな、あ、ああ。おはよう……じゃない!」
朝の挨拶をすれば絳攸もつられて返したのだが、否定されたことを不思議に思い有紀は首を傾げる。
「? まだおはようございますの時間帯ですよね?」
「日が高くなるにはまだまだたっぷりと時間があるぞ、絳攸」
絳攸の斜め後ろで扇で口元を隠す黎深は呆れたように養い子を見た。
その視線は「これから州試を受けるというのに頭がおかしくなったのか?」と言わんばかりである。
「そ、それぐらい私でもわかります! 私が言いたいのは、なぜ有紀がここにその姿でいるのかと言うことです!」
なんだ、そんなことか。と黎深は鼻で笑った。
言葉にされなかったその言葉を正確に読みとった絳攸は、有紀を見て、黎深を見た。
「そんなことでは済まされませんよ! 見送りにきたというわけでもないでしょう。有紀は」
「『瑛玉』だよ。絳攸」
「……は?」
黎深に噛みつきそうな勢いの絳攸の肩をつかんで止めると、有紀はにこりと笑うと、もう一度言った。
「僕は『黄瑛玉』だよ。『黄有紀』の一つ年上の兄だ」
本当は『瑛玉』なんて人間は存在しないし、有紀に兄はいない。
だが、有紀がこのことを決めたときから戸籍上『黄瑛玉』はこの世に誕生した。
しばらくぽかんと有紀を見ていた絳攸だったが、すべてを理解した瞬間に有紀の手からすり抜け、逆に肩をつかみ返した。
「今から、何をしに行くのか、わかっているのか?」
「国試を受けるために州試を受けに」
「なら! その、先がなんなのか、わかっているはずだろう?」
「絳攸」
言いたいことをうまく言葉にできずにたどたどしくも有紀に懇々と諭そうとする絳攸の名前をそっと呼んだ。
痛いほどに肩を掴み、じっと見てくる絳攸の手にせっと自分の手を添えると有紀は少し背伸びをして絳攸の額に自分の額を当てた。
同じくらいであった二人の背丈は、気づけば絳攸の方が気持ちだけ高くなっていた。
これから、もっと離されていくのだろう。
「もう決めたんだ。僕は絳攸みたいにその形であの方の傍にずっといられない。でも、数年でいいから一緒にいたいんだ。……せめてこの治が治まるまででいいから」
受けると決めたときから思っていたことだ。
有紀は今14歳。まだ女顔の男子だと言っても通じる。けれど、18歳の自分は通じないだろうと今から知っているのだ。
女性が社会進出を果たしていないこの国で、大好きな養い親と共に同じ場所で働けることはこの機会を逸すれば一生こないのだ。
ならば、せめて。一度だけ。
朝廷が混乱すれば先は長い。
おそらくは、国試どころではなくなるだろう。
だから、せめて一度だけ。
「僕は一度だけしか受けない。落ちたら……潔く諦めるよ」
「だが…」
「だから、協力してくれないかな。絳攸、頼む」
静かに頭を下げて頼み込む有紀、――否、瑛玉の姿を上から下へと眺めると絳攸はため息をついた。
見ようと思えば女顔の男に見えるだろうと思ったのだ。ならば自分がこの友人を守ろうと、心の奥で決意した。
「わかった、『瑛玉』」
「ありがとう!」
「さ、さっさと行くぞ!」
照れた顔を隠そうとして、絳攸はさっさと軒に乗り込んだ。そんな後ろ姿を見て有紀は笑みを浮かべ、黎深を振り返った。
「では、行って参ります」
「絳攸共々迷子になりにいくのか?」
「迷子にはなりませんよ」
礼儀正しく礼をすると有紀は絳攸と同じ軒に乗り込んだ。
州試の会場では、迷子になることはなく無事終了した。
絳攸は一位で及第。有紀は8位で。後々の国試で絳攸は三元を取り、有紀は国試も18位で及第を果たした。
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加筆修正が激しそうな話になりました。とりあえず加筆修正がなされるお話です。
[3回]
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