そっと肩の力を抜いてごらん。
ほら、新しい世界がきっと目の前に広がるから。
「静蘭さん」
柔らかな声が彼の耳を打った。
それは、非日常的な生活で聞き慣れた声で彼が主としている一家にはとても馴染み深い声だった。
くるりと振り返れば、いつもと変わらぬ出で立ち――華美ではないけれど、彼女のために誂えられた着物を隙なく着こなし、昔よりもだいぶ伸びた艶のある黒髪をさりげなく後ろに流し、気持ち程度の髪飾りを身につけ、誰にでも向けられる柔らかい笑みを浮かべた――黄有紀が立っていた。
じっと静かに彼女の全身をさりげなく見渡した静蘭は彼女の手に何か大きな包みがあることに気づいた。
気づくと同時にすっと歩み寄りごく自然な動作でその包みを手で取り上げた。つ、4見下ろせば彼女は、驚きに目を丸くしてじっと静蘭とその手に渡った荷物を見ていたがやがてほっこりと笑った。
「ありがとうございます、静蘭さん」
「いいえ、お気になさらず。ところでこれはどこにお持ちの予定ですか? 私でよければ荷物持ちをしますよ」
自然な笑みが顔に浮かぶのを静蘭自身不思議に思いつつも、まあ、いいかという気持ちで受け入れる。
そんな静蘭を有紀は申し訳なさそうに見た後、ぽつりと静蘭の仕える一家の名を出した。
「旦那様とお嬢様に、ですか?」
「はい、あと静蘭さんにもありますよ?」
「いえ、私には……」
言い淀む静蘭を気にせずに有紀は続ける。
「静蘭さんはこの後はもう帰宅されるだけですか?」
「はい、途中夕餉の材料を買っていくつもりですが……」
言葉を切って有紀を見た。
静蘭が使える一家の主、紅邵可の弟である紅黎深の友人の黄鳳珠の養い子。言葉で表すとなぜこんなに遠いはずの関係が近いのかわからないが、有紀は秀麗と姉妹のような友人であるし、静蘭の友人……みたいなものである。
立場上は、貴族の姫であり、同じく大貴族の姫である秀麗とは違い貧乏ではない。
けれど彼女は、当然のように軒を使わず供もつけずにふらふら出歩き、秀麗と同じように街で買い物をして当然のように自分の金子で払っている。
何よりも彼女が変わっているところは、年の大半は旅に出て貴陽にいないことだろう。
そして旅から帰ると当然のように紅邵可邸を訪れる。おみやげを手に。
おそらく今静蘭の手にある荷物もお土産だろう。
ふつうの姫ならばついてこないだろう静蘭の値切りの買い物にも普通についてこようとしている。まあ、有紀が居た方がいつもよりも値切れるのだが。
不自然な位置で言葉を切ったまま黙ってしまった静蘭に有紀は首を傾げ静蘭を見上げた。
「お買い物の邪魔だったらまた後で伺いますけど…」
「……いえ、嫌ではなければご一緒に行かれますか?」
「邪魔でないなら」
深く頷いた有紀を連れ、いつも買い物に行く店を目指す静蘭は今から今日の戦利品を思い浮かべていた。
「あ!有紀姉さま!! いらっしゃい!って何やってるの?!」
屋敷に帰宅した秀麗を待っていたのは、二月ぶりに顔を見た姉と慕う友人が当然といった顔をして屋敷の掃除をしている姿だった。
「何って……お掃除だけど」
きょとんとした顔で、たすき掛けが堂に入った格好で当然のような顔をして有紀は絞った雑巾を置くとさっさと手を洗うと秀麗に満面の笑みを向けた。
「おかえり、秀麗ちゃん」
「あ、ただいま。有紀姉さま」
いつもの柔らかな笑みに絆され、秀麗は同じように笑みを返した。
「今日は胡蝶姉さんのところ?」
「え、ええ。毎度の事ながらよく分かるわね」
「なんとなく?」
「胡蝶姉さんが、会いたがってたわよ?」
妖艶な笑みと、艶やかな美声の美女を思い起こし有紀は思わず笑った。気づけば有紀も秀麗に次いで花街の女王に気に入られていた。
「そのうちにお伺いするつもりだから。秀麗ちゃん、お部屋に勝手にお土産おいておいたからね?」
「え、お土産? そんな……もったいない!」
「どうして?」
勢いよく顔の前で手を振る秀麗の手を捕まえて有紀はぐいと彼女の目をのぞき込んだ。
「秀麗ちゃんに似合うと思ったから持ってきたの。使わない方がもったいないでしょ?」
「え、ええ……。でも…」
「でももけどもなしね。お土産を選ぶのは楽しいんだから奪わないで。ね?」
「……うん」
渋々頷いた秀麗に満足した有紀は手を放して、秀麗へのお土産を脳裏に浮かべた。
「静かででも柔らかくて、暖かい感じ。すごく秀麗ちゃんみたいだなって想ったから」
「私、有紀姉さまのくれるお香好きよ。でも…いつもいつも貰ってばっかだから」
申し訳なさそうな顔をした秀麗はすぐに夕餉の準備を始めた。
すぐに傍に立つと夕餉の準備をのぞき込み、笑った。
「こうして一緒にご飯を作って食べれるだけで十分うれしいよ」
「……またお義父様と喧嘩したの?」
「…しばらく忙しいらしいから」
喧嘩する度に駆け込む屋敷の一つでもあった。
(不思議な言葉でいくつかのお題2)
前半の静蘭はただ何となくです。おかげでぐちゃぐちゃになりました。
鳳珠様とはしょっちゅう喧嘩するみたいですね。
[2回]
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