瑠川有紀は18歳の高校三年生だった。
あと二年で大っぴらにお酒が飲めると内心数えていた初冬に漫画や小説でよく言う異世界トリップというのを経験した。
――黄鳳珠という美形の中の美形ともいえる大変見目麗しい人に幸運にも拾われたとき何故か外見年齢が10歳前後という名探偵もビックリなおまけ付きではあったが。
そして拾ってくれた黄鳳珠という青年はこの国、彩雲国の中でも大貴族。彩七家のうち黄家出身であった。
ただの異世界トリップであったならば「夢か現かわからないけどいつか帰れるかもー?」と淡い期待を抱きつつも複雑な気持ちを持て余していたかもしれないが、有紀は何故か外見年齢が小学生高学年であったために心のどこかで「ああ、帰れないのだ」と達観していた。
それは雪兎がいつかは溶けてしまい、春は夏に、夏は秋に、秋は冬になるのが定めであり抗うことはできないような諦めと似ていた。
どうあっても変えられないもの。そんな気がした。
だから、鳳珠に自分の身の上話をしてこれからどうかするか尋ねられた時にそう答えたのだった。
瞬間、彼は困惑の表情をした。そして綺麗な瞳を曇らせ、心配そうな声音で言った。
『さみしくないか』
有紀は偽ることなくその美しい双眸を見上げ、笑った。
見た目は十と少しの少女なのに、何もかもにつかれ、諦めそうになっている顔はさぞミスマッチだっただろう。
『哀しいです』
行方不明者は何年後に鬼籍に入れられるかはわからないが、おそらく戻れないだろう。
そう諦めていた筈だった。覚悟していたつもりであった。
その日までは。
有紀をどのように扱うのか決めあぐねていた鳳珠は、とりあえず有紀が今の大きさの体に慣れるまで屋敷で好きに過ごす事を提案した。
有紀は初めただ置いてもらうのには心苦しいので何か仕事をと頼んだがこの世界やこの屋敷内の常識もわからない為に逆に邪魔になるといわれおとなしくしていた。
そんなある日。有紀は珍しく自分が持っていた荷物を整理していた。
入っているのは持ち帰る筈だった副教科の教科書や辞書達。辞書は辞書でも紙と電子両方を持っていたので電子辞書の中のものは即刻書き写しておいた。
他には持ち歩いていた文庫本の類いではあったが、その中に学生にとっておそらく大切と思われるもの――生徒手帳があった。
鳳珠に拾われて早数週間。鳳珠に身分証明する為に見せた以来目にしていなかったそれを有紀は懐かしそうに手に取り、ゆっくりと開いた。
そこには、日頃写真写りが悪いと零しながらも嫌々写っている18歳の有紀の写真と住所。学校の割印があった。
――……筈だった。
「……なんで?」
指の腹で擦ってもそれは全く変わらなかった。
何度も瞬きをして、眉間を指でほぐしてもそれは変わらない。
身分証明の欄から『瑠川有紀』の名前が消えていた。
名前だけではない。
写真は貼ってある。けれど、『瑠川有紀』は写っていない。
人だけ見事にいなくなっている。
名前も、写真も。住所も生年月日も。
『瑠川有紀』が地球の日本に居たと証明するものは何一つとして残っていなかった。跡形もなく、消え去っていた。
「……なんでぇ…?!」
定期入れに入れてあった修学旅行の写真も、最近撮った家族写真もプリクラも。
全てから有紀の姿が消えていた。
鼻の奥がツンとして痛い。
涙は、流れなかった。
[1回]
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