『お前は、独りきりではない』
そんな言葉は慰めにしかならないと彼はわかっていた。
けれど、口にせずには居られなかった。
痛々しいその姿に、人並みに持っている彼の良心がうずいた。
だから、置いていかれた幼児のように、呆然としているその小さな肩をそっと抱き寄せた。
青空の下で4
朝廷から戻ると、彼の屋敷内はどこかよそよそしい空気が流れていた。
近寄りがたい館の主人と違い、彼が拾ってきた少女は歳の割りに礼儀正しく、どこまでも普通な雰囲気の為に家人達はその少女を気に入っていた。
世話をすれば恥ずかしそうな顔で笑みを浮かべ、お礼を告げる姿が躾がしっかりされていると彼らの中では評判であった。
そのために、少女――有紀がやってきてからの数日間屋敷内はどこか優しい空気が流れていたのだった。
けれど、朝に出仕した時にはあったその柔らかな空気は今はどこかよそよそしく、とても沈んでいた。
「お帰りなさいませ、お館様」
「・・・何があった」
顔を伏せたままの家人は鳳珠が想像だにしなかった、屋敷内での出来事を語った。
聞いた直後、彼は着替えもそのままに有紀の部屋へと走った。
『有紀様がお呼びしてもお答えしてくださらないのです』
入室の許可を得ずに鳳珠は扉を開いた。
室内はどこも変化などしていなかった。
けれど、現在の室の主――有紀の様子が可笑しかった。
『ご様子がとても平生からは考えられないほど、憔悴なさっておいでで・・・』
雪がちらつき始めた季節ゆえに冷え切った床に躊躇なく座り込み、何かを手に握り締めそれをじっと眺めていた。
その瞳は、それを通して違うものを見ているようでどこか虚ろだった。
「有紀」
名を呼べば、鳳珠の知る彼女は「鳳珠さん・・・?」と戸惑いながらも彼の名を呼びでぎこちなく、けれど柔らかく笑っていた。
だが、今の有紀は反応すらしない。
どこか苛立ちを感じ、鳳珠は小さく舌打ちすると室に入った。
きちんと火鉢が置かれていようと、室の床は冷える。
椅子か寝台に座らせようと肩に手を置くが、有紀は反応を返さなかった。
「有紀、床は冷えるから違う場所に座りなさい」
彼女は身じろぎすらしなかった。
強引に持ち上げ、寝台に座らせると鳳珠は有紀の体が冷え切っていることに驚いた。
慌てて家人を呼びつけて温かい飲み物と火鉢を増やすようにと命じて隣に腰掛けると自分の上着を有紀へとかけた。
家人の到着を待ちながら、ようやく鳳珠は有紀が握り締め、見つめている物に目をやった。
それは、彼女が身分証明書として見せたものであり、家族だと紹介した時の素晴らしく出来のいい絵姿だった。
目の前のものを如実に描かれたものは彼女のいた世界の文明の高さを思わせるもので、不信感抜きに感嘆を覚えたものであった。
けれど、鳳珠は違和感を抱いた。
その正体を見つけるために鳳珠は有紀の手からそれらをそっと抜き取った。
「・・・・・・?」
抜き取られた有紀はようやく鳳珠に気づいたように隣に座る鳳珠を見上げた。
その顔はどこか生気がなく、瞳にも先ほどの虚ろさは抜けたとはいえ覇気が感じられなかった。
少し安堵しながら鳳珠はじっとその精巧な絵姿を見た。
幸せそうに笑っている有紀の家族や友人だというものたちの絵姿。
けれど、全て何かが抜け落ちたように奇妙な空間が空いている。
「・・・・・・なんだ」
何が記憶のものと違うのか。眉間に皺を寄せた時家人がようやく言いつけたものを持ってきた。とりあえず、鳳珠は彼らに采配を振るために絵姿を寝台の上に置いた。
家人が持っていた飲み物には茶請けように、有紀が「美味しい」と喜んだものが多すぎるほど添えてあった。
突然現れたのに見事に屋敷に溶け込み家人に受け入れられている有紀に思わず微笑を零した鳳珠は、絵姿に目をやったときようやく違和感が判明した。
全ての絵姿の中から有紀の姿が消えていた。
「・・・鳳珠、さん・・・」
消えそうなほどのか細い声に、鳳珠は有紀を見た。
有紀は腰掛けたまま俯き、膝の上で手を握り締めていた。
その手は痛々しい程に震えている。
「私、元の世界に・・・居場所・・・。なくなっちゃったみたいです」
「・・・・・・」
かける言葉が見つからず、鳳珠は有紀の正面に膝立ちになる。それに気づいた有紀がゆっくりと顔をあげた。
女子にしては短すぎる黒髪がさらりと音をたてて流れ落ちた。
有紀は身分証明書だと言って差し出した小さな帳面を指でなぞった。
『・・・読めん』
『これは横書きなんです。これが“瑠川有紀”私の名前です。こっちのが
生年月日で、これが住所です』
『これは』
『これは写真っていって、目の前のものを写し取ったものです。18歳だった筈の私です』
笑って説明していた有紀の「名前」や「生年月日」、「住所欄」は何事もなかったように白紙に戻っており、「写真」からは姿だけが綺麗に消えてしまっていた。
「みんな・・・。私のこと、わすれちゃったのかな」
置いていかれた子供のような、傷ついた瞳をした彼女は苦く微笑んだ。――痛みを堪えた、泣きそうで泣けない、そんな心の奥底をさらけ出したように。
いくら本人が18だと言い張っても、鳳珠にはただの小さな子供にしか見えない。
泣きたいならば、泣けばいい。子供はまだ我慢を覚える必要はないのだから。
鳳珠はそっと有紀の肩を抱き寄せ、顔を己の肩へと押し付けた。
「・・・鳳珠、さん・・・?」
「泣きたいならば、思う存分に泣け。見栄をはるな」
見栄などはっていないことは鳳珠も承知であった。当然、有紀は困惑し、少し身じろぎするが鳳珠は腕を放さなかった。
「こうしていれば、お前が泣いたことは私には見えん。置いていかれた子供のような顔をするな」
「そんな、顔・・・」
「していないというなら、鏡を見せてやろう。だが、今はそんなことをするよりも思う存分に泣け。そうしたら、放してやる」
『君のその麗しい声で命令されたら、逆らえるものなどそうはいないだろうな』
天上天下唯我独尊男が評した己の声をこの時は利用した。
『そうですね。低い声など、もう誰にも抗いようがないでしょうね。まあ、私には効きませんが』
そして、天上天下(以下略)や鳳珠を抑えて国試を状元及第した穏やかな笑みを浮かべる彼は更に太鼓判を押した。
「泣いていろ。居場所がなくなったとしても、家族からお前の記憶が消えても、お前の中には記憶が残っているのだろう。それではいかんのか」
「・・・・・・っ・・・」
「居場所がないなら、作ればいい。だが、そんなことは後だ」
鳳珠は、一拍おいて、低い声で優しげに囁いた。
「今は、泣け。有紀」
その後、有紀は鳳珠の着物にしがみ付いて泣き続けた。
泣けと言ったのはいいものの、対処法など分からない鳳珠は手をどこへやればいいのか迷いつつも、艶々として黒髪にそっと手を添え、片手は背中をそっと擦り続けた。
泣き終わった有紀に、鳳珠はここ数日間思っていたことを伝えた。
家人が客ではなく、仕える人間として接している節があること。
そして、何よりも鳳珠の顔を真正面からみて会話すること。
天上天下(以下略)男が孤児を拾ったと聞かされた時は世界の終わりかと思ったが、少しだけ気持ちが分かる気がした。
天上(以下略)男は気まぐれで拾ったのだろうが。嫌がる少年を面白がって拾ってきたらしい。それは犯罪だと思うのだが。
「有紀、この家で暮らさないか」
少しの間だけ、世話になるつもりでいた有紀はやはり鳳珠の予想通り泣き腫らした目をこれ以上ないくらい見開いた。
そして、鳳珠は一生誰にも言わないであろう言葉を紡いだ。
その言葉は、有紀には到底信じられるものではなかったが、数日間で彼の人柄は少し分かっていた。――鳳珠は優しい嘘はつかないだろうと。
だから、少し迷いながらも有紀は頷いた。そして「ありがとう」と涙した。
『この家で私と暮らそう。家族がないというのなら、私がお前の家族になってやる』
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鳳珠様が大好きです。あの人仮面被ってるのに男前すぎる・・・!!
口調がイマイチ不明ですが、こんな感じかなぁ・・・。
とりあえず「青空の下で」は完結で、以下ブームが続く限り進みます。
多分、色々と改訂して本館の方でアップです。
恋愛要素を加えるなら相手は絶対鳳珠様はありえないと思います・・・。
多分双花菖蒲・・・?
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