『もしも君と』
デフォルト名:黄有紀
隣にいるのが当たり前だと思っていた。
とある話を聞くまでは。あの穏やかな笑みをそばで見るのは当たり前であり、それは決して揺るがないことなのだと。
当たり前のように信じていた。
絳攸は耳を疑いつつ、情報をもたらした腐れ縁を睨み付けた。
「有紀が見合い?」
「おや、絳攸。君が知らないのかい? なんでもとある勇気ある命知らずが黄尚書にお願いに行って、その場にいた黄家の誰かの口添えもあって今度の休みに実現するって噂だよ」
睨み付けられたことなど気にしない腐れ縁こと藍楸瑛はぺらぺらと澱みがない口調で仕入れた話を披露していく。
見合いを申し込んだ勇気と無謀を履き違えた青年の評価を華し続ける楸瑛を気にも止めず仕事を続けていたつもりでいた絳攸だったが、真剣に聞き入っていた劉輝がぽつりと溢した一言に手を止めた。
「有紀が結婚してしまったら余は有紀とは会えなくなるのだな……。寂しいのだ」
「……主上、今何て言いました?」
「ん? だから有紀が結婚してしまったら余はもう有紀とは会えなくなるのだなと……絳攸?」
驚いたように手を止めたままの絳攸を劉輝は訝しげな目で見るが、楸瑛は何かに気付いたように楽しげに顔を歪めると、したりげに何度も頷く。
「ははーん、絳攸。君、有紀殿とはいつまででも幼馴染みで居られると思っていたのかい?」
「有紀と絳攸はずっと幼馴染みでいるのだろう?」
「違いますよ、主上。絳攸は有紀殿が結婚されることを全く考えていなかったのですよ。だから、有紀殿が結婚されると今のように気軽に会えないことを考えていなかった」
違うかい? としたり顔で絳攸を揶揄するかのような楸瑛の発言は、しかしながら本人には届いていなかった。
その日の絳攸は道を間違えることなく仕事を終え帰路についていたが、吏部ではついにこの世の終わりが来るのだと大騒ぎになり、戸部では尚書の機嫌の悪さが最高潮に達した為か倒れる官吏が続出したということについぞ気付かずに帰宅した。
心ここにあらずといった風な絳攸が意識をはっきりとさせたのは、邸にいるはずのなかった人物だった。
「おかえり、絳攸」
「ゆ、百合様?! いつお帰りに…! あ、黎深様はこのことを」
驚きのあまり動揺を露にする息子にくすりと笑みを浮かべながら、百合はその手を取って部屋へと誘う。
手のひらに収まる大きさだった小さな手が、百合の手ではおさまらない程大きくなったことに嬉しさと寂しさを覚えながら、急遽貴陽に駆けつけた理由を話始める。
「黎深から早馬が来てね、時間差で玖琅からも来たんだけどね」
実は邵可からも文が届き、それが一番事情把握がしやすかったとは言わない。
百合は振り返り、絳攸の肩をがしりと掴むと天井に向かって叫んだ。
「有紀ちゃんがお見合いするって言うじゃないの! しかも次の休日! こうしちゃいられないわ!」
「え、そんな理由で帰ってこられたんですか?!」
しかも玖琅も同じ内容で早馬を出したというのだろうか。
絳攸の疑問が顔に表れていたのか、果たして愚問だったのか百合は握りしめた絳攸の肩をガタガタと揺さぶった。
「何言ってるの絳攸!有紀ちゃんは絳攸がお嫁さんに貰って、私の娘になるの!だから他の男に盗られちゃ駄目なのよ!」
「はい?!お、俺が嫁に……?!」
驚愕に見開かれた瞳にびしりと人差し指を突きつけて百合は厳しい表情を浮かべる。子供を諭すかのような仕草は幼い頃よく黎深相手にしているのを見たことはあったが、まさか自分がされる時が来るとは思わなかった絳攸は更に驚きに固まる。
「何今更言ってるの。黎深と良好な舅嫁関係が築けるのは有紀ちゃんしかいないし、絳攸が平気な女の子は有紀ちゃんしかいないし、私も有紀ちゃんしか娘は厭だもの」
玖琅が動く理由はそこか、絳攸は気付く。そして半分以上は、紅家の都合であることに落胆しかけたが、次の百合の言葉に完全に思考を停止させた。
「何より、絳攸が好きな人なんですもの。断然邪魔しないとね!大丈夫よ、安心して。黎深が動くと大惨事だから玖琅が動くことになったから」
黎深が動こうと玖琅が動こうと対象にされた相手に取っては大惨事には変わりないのだと、いつもの絳攸ならば突っ込みを入れていた所だが、絳攸はこの時のやり取りを覚えていなかった。
***
大変遅くなりました。
リクエストを頂いてから半年以上……。いや、サイトのリクエストは年単位でお待たせしてしまっておりますが……。
生弦さまから頂いたリクエスト、『青空の下で』から『もしも君と』の『絳攸の自覚編』です。
傍にいるのが当たり前過ぎて、きっかけがないと自覚しないだろうなぁと思ってます。
ちなみにお見合いは鳳珠もぶち壊す気満々だったと思われます
[20回]
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