デフォルト名:藤丸 ゆりえ
賑やかさにざわつく校舎の中、廊下にリズミカルなヒールの足音が響く。忙しさを感じさせず、かといって軽やかでもない足音の正体は一人の小柄な女性ーー藤丸ゆりえである。
一年に一度のイベントでもある入学式はシャイニングの流血という事態と共に彼独特な強烈な挨拶で幕を閉じた。
一人の女生徒が貧血を起こして倒れかけるという事態も起こったが概ねゆりえ達事務所の人間にとっては想定内の範囲内に収まりハイタッチでねぎらい合った。
SクラスとAクラスそれぞれの担任を持つ日向龍也と月宮林檎は各々のクラスへ向かい、他の事務員達も各々の業務へと向かったのだが、ゆりえは生徒達や学校関係の事務処理で職員室へと向かったのであった。
学園の事務員ではない筈なのだが、と思わないでもないがまあ仕事の一貫だと割り切って仕事を片づけていく。
二人が担任業務が終わって戻ってくる前に色々と準備をしつつ、社長であり学園長であるシャイニング早乙女が暴走して生徒達(主に被害を被るのは龍也だが)に混乱を与えないように職員室で見張るという大役も持っていた。
筈であったが、ゆりえは今Sクラスに向かって急いでいた。
職員室で大人しくしていた社長が、突如「ミーは呼ばれているのデス!」と叫び窓ガラスを破って飛び出していった為である。予想通りであった為、驚きも焦りもしていないが、偏に龍也の負担減の為である。(事務所の一部の人間達の間で龍也の苦労を減らす会なるものが結成されており、ゆりえは会員として積極的に行動していたりする)
「失礼します」
Sクラスに入ると予想通りシャイニング早乙女によって教室内が引っ掻き回され、担任である龍也は諦めた顔をして黒板にもたれていた。入室してきたゆりえに気付いた龍也はホッとしたように深く息を吐くとゆりえを手招きした。
「何かあったか?」
「いえ、社長を連れ戻しに」
「ペアが滅茶苦茶だ。終わり次第これ以上変なことしでかす前に頼んだ」
「オー! 見つかっちゃったノネ。皆さん、彼女はゆりえサンデス! 困ったときは職員室に居るのでジャンジャン声をかけてクダサイネ!」
シャイニングの滅茶苦茶な紹介にゆりえは丁寧にお辞儀をすると隣にいた龍也が正式な紹介を始める。
「藤丸ゆりえだ。こいつはアイドルではない、シャイニング事務所の一般事務員だ。平日の何日かは職員室に居るんで学校生活や寮で困ったことがあれば尋ねろ」
「藤丸ゆりえです。毎日いるわけではないですが、困ったことがあれば相談に乗りますので、宜しくお願いしますね。では社長。窓ガラスと壁の請求書にサインしていただきますので、ご同行願えますか?」
「イエスイエス。ゆりえさんを怒らせることはしませーんよ。サインくらいお茶の子さいさいデス! では皆サンバイバイネ!」
ゆりえの後を素直について行くシャイニングぬ姿を見送ると龍也は深いため息を吐くと目を丸くして一連の流れを見ていた生徒達に笑って見せた。
「まあ、見て分かったと思うがうちの事務所、学園では社長の云うこと行うことは絶対だ。ただ今みたくタイミングよく藤丸が現れれば逃れられるが、まああいつも忙しくしてるから期待はしないように」
謎の事務員藤丸ゆりえとしてSクラスの生徒達に浸透したきっかけであった。
「藤丸、車の運転は慣れたか?」
社長室にて社長ご所望の三時のお茶を出していると、シャイニング早乙女としてではなく、社長として声をかけられた。お盆を抱えながらゆりえは暫し考えた後に躊躇いながらも頷いた。
正社員となることが決定してすぐ、新年度が始まるまでにと、社長のポケットマネーで自動車運転免許を取得させられ、正社員になってから一年間は事務所の人間の送迎も担当させられ初心者マークながら、運転の回数はこなしていた。
ゆりえの返答に社長は満足げに頷きお茶を飲み干すと机に両肘をつき、顎を乗せるとじっと入り口の扉を見つめた。
「仕事を一年頼みたい」
『仕事』を敢えて『頼む』との言い方にゆりえは背筋を伸ばした。
「お前の負担が増えるんで、サポートは龍也が了承済みだ。ある生徒のサポートを頼む」
社長の言葉が終わると同時にゆりえの背後の扉が開き、龍也と一人の生徒が姿を現した。
振り返ると同時に視界に広がる見覚えのある羽根にゆりえの目が見開かれる。
「お前も知っていると思うが、今メディアで有名でもあるHAYATOだ」
「……え? あれ? 一ノ瀬トキヤ君じゃないんですか?」
ゆりえの認識していた名前を述べるとHAYATOと呼ばれた生徒は驚きに目を見張っていた。同じように龍也もゆりえを凝視しているがただ一人、社長のみが事態を楽しそうに見守っている。
「私を、ご存知なんですか……?」
「一ノ瀬君で合ってるんだ、良かった。よく観に行っていた劇団に所属していたし、お芝居もちょくちょくとね。ただ最近見かけないのにHAYATOが出てきたから名前とキャラ変更したのかと思っていたの」
そして羽根が期待値の高い輝きだったから、とは言葉にせず飲み込んだ。
やはりHAYATOと一ノ瀬トキヤが同一人物であっていたのか、とのほほんと笑うゆりえにトキヤは目を瞑り、言葉なく俯いてしまった。
「どっちも知ってるなら話は早い。一ノ瀬はHAYATOとしてはデビューしているが、『一ノ瀬トキヤ』としてデビューするためにうち来た。デビューの条件は他の生徒と同じだがHAYATOの仕事を同時にこなすには誰かしらのサポートが必要だ」
龍也の説明に、先程の社長からの質問の意味を理解したゆりえは「分かりました」と一つ頷く。
「一ノ瀬君のHAYATO業のサポートですね? 林檎さん方の送迎と同じ形にサポートで宜しいのですか?」
「残りはお前の仕事との兼ね合いだな。俺らと林檎もお前のサポートに回る、が。全面バックアップはしなくていいと本人の希望だ」
敢えて二足の草鞋を履いた責任は本人がつけると云うことなのだろう。だが、龍也と林檎がサポートに回ると云うことは社長一個人としては可能な限りは面倒を見てやりたいということなのだろう。
「分かりました。とりあえずはまずHAYATOのスケジュールを把握ですね、一ノ瀬君、協力よろしくお願いしますね」
「いえ、こちらこそ全力で頑張りますので、ご協力宜しくお願い致します」
深く頭を下げる姿にゆりえは好感を抱く。夢を叶えるために努力を重ね、きらきらと輝く姿を見るのが好きだ。
更に彼の背中にはキラキラと輝き羽ばたくのを待っている翼がある。
細かな打合せを行い、一週間分のHAYATOのスケジュールを確認すると、トキヤは社長室を退室していった。校内の見学と明日からの準備を行うと言って。
「……で、だ。お前が申請していた休日だが……」
「ああ、明後日のですね。仕方がないですし、気になさらないで下さい」
トキヤのサポートに回るのなら暫くは休日申請をしている場合ではないだろう。
ゆりえが申請していたのは二日後。
妹の高校の入学式である。
大切な妹の晴れ姿を見るために年度始めの忙しい時期を承知で申請を出しており、許可をもらっていたのだが、妹には不参加の連絡をするしかないだろう。
「いや、早朝だけ一ノ瀬のサポートについてくれ。その後は予定通り休暇でいい。午後も帰ってこなくて良いぞ」
「宜しいのですか?」
1日の申請をしていたが、実際は昼過ぎには戻ってくる予定だったのだが。
「臨時ボーナスをやるから、妹とのんびりしてくればいい」
「えっ!? 臨時ボーナスですか!?」
「ああ、その代わり今年一年は滅茶苦茶た」
「まあ、それは例年のことなので。ですが、有り難く頂戴します」
****
トキヤの送迎係になりました。
[0回]
PR