デフォルト:黄有紀
男装:黄瑛玉
※サイトでは未アップの清和の風の時間軸です。
「黄官吏」
呼び止められて有紀は足を止めた。手には鳳珠に積まれた冊子の山が乗っているためにゆっくりと慎重に振り返る。
「欧陽官吏」
工部所属。時期侍郎と呼ばれる欧陽玉が楽しげな笑みを浮かべて立っている。彼ほど見た目が賑やかな人はいないだろうと有紀は思う。
耳環に指環や腕輪をじゃらじゃらと身につけているがそれが彼のために存在しているように似合っている。
冊子に行動が制限されるために、申し訳なく会釈で済ますと彼は鷹揚に微笑むとつかつかと有紀の目の前まで歩いてきた。歩き方も優美である。これで、工部でも一二を争う酒豪だというのだから驚きである。ーー彼の仕事ぶりを見ていれば驚きも何もないのだが。工部は尚書が酒瓶片手に執務をこなすために、酒気に耐性がなければ官吏が勤まらない。
「辞める、というのは本当ですか?」
この言葉も何度聞いたかわからない。辞めるかもしれない。そんなことをこぼしたのは絳攸だけの筈なのに、一部の官吏には既に伝わっている。
あくまでも可能性である。しかし、遠くない未来有紀は官吏を辞める時が来る。官吏に女はなれない。それは不文律である。明確な法があるわけではないが、だが女人は国政には参加できないのが彩雲国での常識であった。更に言えば不文律といえども、法である。慣習法と言うべき見えない壁が立ちはだかるのだ。
女人の有紀がこの場で、官服を着て、出仕しているのは本来できないこと。だから、確実に男装のボロが出始める前に辞めるつもりでいた。
そんなことをおくびにも出さずに有紀は首を傾げてみせる。
「どなたからそのような?」
「若い世代で真面目に仕事をしている者達は皆そう言っていますよ。最近の貴方はよく遠い目をしている。辞めていく者は皆そういう行動をよくとりますからね」
納得がいった。
官吏になってみて、なったのは成り行きというか勢いが八割方の理由を占めていたが、残り二割は官吏への興味もあったのだ。
彩雲国の国政の中心はどのような場所なのかと。同時に、この馬鹿げた内乱もどきに朝廷がどのように機能しているのかも。
「そうですか……」
「で、どうなのですか?」
「……迷っています」
今、自分がどうするべきなのか。ここにいても有紀にはやれることはない。出世して国を変えるということも出来ない。出世できる頃にはボロが出るだろう。だが、野に降りたところで有紀に出来ることはたかがしれている。
そして、今朝廷を去ることは鳳珠を支える役目を放棄するということである。有紀一人が鳳珠を支えているわけではない。むしろ支えになっているかも怪しい。けれど、有紀がいれば鳳珠はぎりぎりまで無茶はしない。……否、無茶は無茶でも捨て身の無茶はしないのだ。
「迷っている。……そう言っていますけど、私にはもう既に決めているように見えますよ?」
「決めている……?」
「ええ。迷っているのは『選択』をではなくて、『時』でしょう。いつ切りだそうか、と」
「……そうかもしれません」
有紀は目を見開いて玉を見つめた。彼は優しい笑みを浮かべて、耳環を指で摘む。些細な動作ですら優美で、生まれながらの貴族というのはこういう人をいうのだろうと心の片隅で思う。
玉は自然な動作で有紀の手から本を七割取り上げると有紀に背を向けた。慌てて有紀が追いかけると、彼はどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「黄官吏、私は止めませんよ」
「……はい」
引き留めるに値する仕事をしているとは思えていないために、神妙に頷く。けれどどこか寂しかった。絳攸ほど有能ではないが、自分なりに頑張っていた筈である。玉も、陽修も有紀のことをほんの少し目にかけてくれているように思っていたのだが。
しかし、玉は優しい声で続けた。
「もし辞めた時は、貴女の本当のお名前で私に文を下さい。心待ちにしています」
「……え……」
思わず足を止める。
今、彼は、なんと言った?
足を止めた有紀にすぐさま気づいた玉は二歩進んだ先で立ち止まると振り返る。その端正な顔には楽しげな色が浮かんでいて、その透き通った瞳に見透かされそうだった。ドクリと、心臓が跳ねた気がした。
「どうしてと言いたげですね。ですが、言葉にしないのは正解です。あんなトリ頭達と一緒にされては困りますね。この欧陽玉、美しいものへの審美眼はまだまだ曇る予定はありませんから」
早く行きますよ。我に返ると有紀は慌てて玉を追いかける。彼は本当に楽しそうで、まるで鳳珠談義をしたときのような楽しさが浮かんでいる。有紀は混乱する頭で何を言うべきなのか考えた。
ぐるぐると回る頭で、考えついた答えは自分でもひどいと思うものだった。
「私、欧陽官吏のご自宅知らないです」
後は自分でやると言っても取り合ってもらえず、高い場所の本を率先してしまってくれる玉にそれ以上何も言うまいと黙々と本を所定位置にしまう有紀を見て、玉はくすりと喉を震わせる。
「なら、今から文通でもはじめましょうか。楽しみにしていて下さい」
その後有紀は、「黄瑛玉」ではなく、「黄有紀」として玉と文のやりとりをするのが日課となった。それは旅に出かけた時も同じであり、旅先から出すときもあれば、貴陽に居るときだけ出したりもした。時折旅先で珍しい工芸品を見つけては玉にも送ったりとする有紀に、玉はお礼と称して装飾品を贈った。
分不相応すぎると固辞する有紀を言葉巧みに誘導しては、きちんと受け取らせるため、有紀の私室には一定の頻度で装飾品が貯まっていった。そのことに鳳珠は気づきつつも、自分ではなし得ないことをやってのける名前を知らない相手に対抗心を燃やすのだが、この時点では誰も予想し得なかった。
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実はこっそり玉も大好きです。
以前からよくラブコールを頂いていたのですが、『清和の風』の時間軸を書かないと出せない!と想い自粛してましたが、小ネタ日記でならいいかなぁとちまちまと書いてみました
[16回]
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