デフォルト名:立花眞里
土間に向かうとすでに数人の隊士が集まっていた。
皆一様に眞里がくるのを待っていたらしい。眞里が来る以前は自分たちで考えておこなって居た筈の朝餉作りの筈なのだが。
しかし、十番組は心配しなくともここ数回で手際はよくなっている。
「遅れてしまい申し訳ありません」
「いや、俺らも早く来すぎたな。んじゃ、始めるか」
赤毛に近い髪を束ね、長身の十番組組長の原田はにかっと笑うと、隊士に始めるように告げた。
この組と共に作る際の眞里の仕事は、器の準備と味付けの最終確認である。たまにもたつく隊士に助言を与えたり、手本を見せたりするが基本は隊士の自主性を重んじている。
食事の支度を隊士に仕込む。それが頼まれたことである以上、眞里が全てを取り仕切る訳にもいかないのだ。
「なあ、味噌汁の濃さはこんなんでいいのか?」
味噌汁を担当していた原田の傍らに行き、味見をする。
原田や斉藤が一番、安心して味見が出来る為戸惑いなく口に含む。
「大丈夫だと思いますよ。原田殿も味付けが上手くなりましたね」
「そうか? ありかとうな」
屈託なく笑う原田に眞里は思う。男が料理が上手になったと誉められても複雑だろうに、素直に礼を言う原田は変わっているのだろうが、眞里は接しやすい相手でもある。ごねられると対処に困るからだ。
朝餉の準備も問題なく進み、隊士が運び出している中茶器の準備と、今日の分の茶菓子を確認する。
屯所に身を置いて一週間が経過しようとしているが、近藤によくお茶を頼まれるようになっていた。
茶菓子を買いに行ける身分ではないが、監察方の者に頼めば買い足して貰える。その為、毎朝確認するのが日課である。
「あ、何か欲しいもんあるか?」
背中から掛けられた声に眞里はざっと茶菓子を見渡す。
今は金平糖がおいてあり、他にも幾つかの干し菓子がある。
「今のところは大丈夫です」
「いや、そうじゃなくてな」
笑いが含まれた声に疑問を抱いて振り返ると、原田が優しい笑みを浮かべて眞里を見ていた。言われた意味を理解しかねて首を傾げる。
「まだ外出許可が出てないだろ? 昼から新八と島原に行くからよ、帰りに土産買ってきてやるからさ。何がいい?」
「昼からお酒ですか」
「あ、呆れんなって。たまにはいいだろう。いつか誘ってやるよ」
「いえ、私お酒は……」
困ったように視線を漂わせると、原田も疑問に思うのか首を傾げる。
「弱いのか?」
「逆ですよ。幼い頃から飲み慣れてますから、お酒には五月蠅いですよ。それにあまり酔わないんです」
安い酒を毎日飲むよりは、金を貯めていい酒をゆっくり飲みたい。いい酒は、大体が強い。必然的に眞里は酒に強くなっていた。家系もあるのかもしれないが。反対に幸村は大層弱かった。
「んー、まあ酒の話はおいおいな。甘いものは好きか?」
「はい。好きですよ」
信玄が亡くなる前は、幸村と毎日のように城下で食べ歩いていた。
幸村のようにたくさんは食べないが、眞里も甘いものは好きだ。
懐かしい幸せな思い出を思いだし、眞里はふわりと微笑んだ。
その瞬間土間に居た人間は眞里を見て硬直していた。
稽古場で難しい顔や真剣な表情はよく見るが、そのほかの表情を浮かべているのはあまり見かけられない。幹部の中に土方や斉藤といったように難しい表情や淡々とした顔を日常からしている人間もいる。
しかし、眞里は極稀に優しい顔をする。
筆頭はやはり雪村千鶴と居るときだ。千鶴と話すときは柔らかい表情で、空気も穏やかである。
隊士の者は、千鶴がいないときに眞里の穏やか様子を見たことがないのだ。
しかし、今原田と話している最中に優しげな微笑みを浮かべた。原田以外の者には会話は聞こえていなかったが、それでも眞里の微笑は希少価値が高かった。
原田はくしゃりと笑い、眞里の頭を乱雑に撫でる。
「じゃあ土産に団子でも買ってくるかな。そうしたら茶、煎れてくれるか?」
「はい」
土産がなくとも、頼まれればいれるのだが。
久しぶりに甘いものが食べられる、と眞里はその日は機嫌が上向きであった。
広間に行き、膳の前に座ると千鶴が明るい様子で隣に腰を下ろした。
朝、部屋を出る前の様子と打って変わった表情に眞里はそっと千鶴の頭に手を置く。
「何かいいことでも?」
「はい! 当てて見て下さい!」
余程嬉しいことらしい。江戸を出てから久しく見ていなかった千鶴の笑顔に、眞里は肩から力が抜けた。心から安堵したのだ。
「そうだな……」
迷い、千鶴の様子をじっと眺める。その時、眞里のもう一方の隣に斉藤が腰を下ろした。
「雪村に、何度か稽古をつけたと聞いたが」
「ああ、そうだけど……。分かったよ、千鶴」
「えへへ、分かっちゃいました?」
やはり嬉しいらしい。少し乱暴に千鶴の頭を撫で、楽しげな千鶴を見ると自然と口元に笑みが浮かぶ。
「斉藤殿に褒めてもらったから?」
「はい、師を誇れと。眞里さんは私の二人目のお師匠様ですからとっても嬉しかったです」
千鶴が誉められたから、が大きな理由ではあるらしいが、それを通しての眞里への賛辞が嬉しかったらしい。
千鶴は人のことも我が事の様に嬉しがり、悲しみ、悔しがる。
「千鶴の太刀筋は元々真っ直ぐだった。……私は、私が相手をすることで変な癖がつかないか心配だったけど、斉藤殿がそう仰って下さったということは私の配慮も実を結んだということだね」
「変な癖、ですか?」
「そう。特に私の剣は千鶴とは真逆。そうではないですか? 斉藤殿」
静かに耳を傾けていた斉藤は肯定も否定もしなかった。しかし、何かを小さく呟く。
聞き取れなかった眞里は斉藤を振り返る。彼は再び、しかし眞里のみに聞こえるような声で言った。
「どちらも、曇り無いことには変わりない。あんたの剣も、いい意味でも悪い意味でも真っ直ぐだからな」
表情が無に近い斉藤は口元のみで笑みを作ると、周りにあわせて食前の合掌をした。
眞里と千鶴も慌てて合掌する。
伸びてくる箸を悉く交わしながら自分の食事を負えると、食後の茶を淹れに席を立つ。
見慣れた背中が小さくなるのを見て千鶴は小さくため息を吐く。
江戸を出てから続く非日常的な生活。新選組の屯所での生活も始まって一週間経過する。
行動を制限され、一日中眞里と意図的に離されて、監視され続ける生活。慣れてしまったら終わりな様な気がして、気を張っていたのに、最早これが日常へとすり替わりそうなほど感覚が麻痺していた。
「千鶴」
「あ、はい。ありがとうございます」
渡された湯飲みを受け取り、眞里へと顔を向けるが、何かを隠されるように強く頭を撫でられる。
眞里には、今の千鶴の複雑な心の内が見透かされているようで、自分が情けなくもあり、眞里の存在に救われていた。
夕暮れに染まる部屋で、千鶴はぼんやりと外を眺めていた。
眞里は、昼の後に稽古に向かいそのまま夕餉の支度に向かったまま帰ってきていない。
千鶴が部屋からあまり出られないのと反対に、眞里が屯所内を歩き回る。否、部屋に居られないようになっているため、眞里と千鶴が話をする時間ができるのは、早朝か、夕餉の後のみである。
広くない部屋も、一人では寂しさが募っていく。
「いつまで、こんな生活が続くのかな。父様が無事かどうかなんて、ここに閉じこもっている限りわからないし……。いつになれば外出許可が下りるのかも、出張中の土方さん頼みだし……」
後ろ向きなことを考えた途端に、暗い独り言が次々と口をついて出ていく。
今は、とにかく待つしかないのだと思っていても、何度も同じ事を考えてしまう。
現状が打破されない限り、千鶴の不安は増していくばかりである。
「でも……」
不意について出た言葉は、千鶴も知らぬうちに明るい響きが伴っていた。
「皆、良くしてくれるし。……きっと、根は良い人たちなんだよね」
たとえ、彼らが千鶴と眞里の生殺与奪権を有している、巷では人斬り集団と呼ばれていても。
「君さ、騙されやすい性格とか言われない?」
「っ!!?」
彼らの顔を思い出していた千鶴は、突然聞こえた楽しげな声に驚き、慌てて振り返った。
そこには何気ない顔で沖田が部屋の中にいた。
「ど、どどどうして沖田さんがっ!?」
「あれ、もしかして気づいてなかったとか? この時間帯は僕が君の監視役なんだけどなー」
千鶴と眞里には常時、幹部の監視がついている。
常時ついているということは、千鶴が気づく前からずっと居たということである。そのことに気づいた千鶴はおそるおそる沖田を伺い見る。
「もしかして、私の独り言も全部……?」
沖田は答えずに、目を輝かせて首を傾げて見せた。ただそれだけの動作で、彼の答えを知った千鶴は羞恥でうなだれる。
更に千鶴に追い打ちを掛けるように、襖の陰から音もなく斉藤が姿を現す。
「総司、無駄話はそれくらいにしておけ」
「……斉藤さんも聞いてたんですか?!」
「……つい先程来たばかりだが」
ほっと胸をなで下ろすが、千鶴の様子を見て斉藤は小さく首を傾ぐ。
「そもそも今の独り言は聞かれて困るような内容でもないだろう」
内容云々よりも、聞かれた事実が問題であると千鶴は一人心の中で羞恥にあがくが、楽しげな笑みを浮かべる総司と千鶴を見て斉藤は困ったような顔をした。
「夕飯の支度ができたんだが、……じゃまをしただろうか? あんたと総司の話に一区切りついたら、声をかけるつもりだったんだが……」
ちらりと総司を見ると、長引きそうだったからな。と続けた。そしてそのまま視線を廊下へと向けると、誰かが駆けてくる音が響き、藤堂が膨れ顔を覗かせた。
「あのさ、飯の時間なんだけど―」
「すまん平助、今行く」
「はいはい、千鶴も急げって。早くしねえと食うもの無くなっちまうからね」
斉藤の返事に顔を元に戻すと笑みを千鶴に向ける。千鶴は自分の独り言のせいでドタバタしてしまったことに思い至り、慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい、藤堂さん。すぐに行きます」
先に向かいかけていた藤堂は立ち止まると、不満そうな顔で千鶴を振り返り口を開いた。
「あのさ、その『藤堂さん』ってやめない? みんな平助って呼ぶからそれでいいよ」
「で、でも……いいの?」
「歳も近いから、そのほうがしっくりくるし」
「じゃあ……平助君で」
千鶴の言葉に平助は満足げに頷く。それと同時に何かを思い出したように、腕を組む。
「眞里さんもまだ『藤堂殿』なんて呼ぶもんなぁ。俺より年上の人にそうやって言われるのもむず痒いし、眞里さんにも名前で呼んでもらおうかな」
妙案だとばかりに駆けていく藤堂を呼び止めようとするが、千鶴の声も届かず彼は先に戻ってしまった。
「どうかした?」
「あ、いえ……。多分、眞里さんは平助君のこと名前呼びを了承しても、『平助殿』のままだと思うんです」
「……それは仕方のないことだ。早く行くぞ」
さっさと歩き出す斉藤と沖田に置いて行かれないように千鶴も慌てて部屋を後にした。
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まだまだゲームから離れられませんね。
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