デフォルト名:立花眞里
その日の晩、土方達幹部が神妙な顔で訪ねてきた。
屯所内は男子のみ。その中に女子が二人も混ざっているとなると、隊内風紀も乱れ、外部に噂が流れれば面倒なことになりかねない。良くない勘繰りも生まれる可能性も、綱道氏を狙う存在から千鶴が狙われるとも限らない。
小さな可能性はできる限り潰しすべき。それらの理由から、眞里と千鶴の両名は男装で過ごすことを強いられることになった。
その反応はそれぞれだった。
千鶴は慣れない男装を続けることに、ため息を吐きながら納得して受け入れたがやはり慣れない生活への不安が先立つようだった。
一方の眞里は渋ることもなく快諾したのみである。
「すまねぇが辛抱して貰う」
「私のことはお気遣い頂かなくとも大丈夫です」
生まれてから十数年。男だらけの武田軍の中で武将として、そして立花の跡継ぎとして生きてきた。
女子としての生き方もできる筈だが、男装の方が落ち着くのだから。
「それと、この一部屋をやるから引きこもってろ」
「え……でも、」
土方の言葉に千鶴は首を傾ぐ。
朝方の話では千鶴は土方の小姓にするという話であった筈だ。沖田が揶揄するように尋ねると、土方の顔が引きつる。
「いいか、総司。てめぇは余計な口出しせずに黙ってろ」
「はいはい、分かりましたよ」
にたにたと笑いながらも引き下がる沖田を見て、土方は疲れたように大きく息を吐いた。一拍呼吸を置くと眞里へと向き直る。
「あんた、その怪我が治ったらどうする」
「どうする……と言われましても」
吊られた左腕を眺める。
昼の後に千鶴に手を容易に使わないようにと厳重に注意を受けた手当の後である。
左腕の怪我は眞里の中の基準では大したことのない傷だ。
傷が治ったら―――。ちらりと土方へと視線を向けると彼も眞里の左腕を見ていた。
「……鍛錬で感覚を取り戻したいです。主がいなくとも、この腕を錆びさせるつもりは毛頭ありませんので」
けれど。今自分が置かれている身分で果たして刃を振ることを許されるだろうか。
恐らく無理だろう。この広くはない室内でできる限りの鍛錬を行う。それしか術はないように思えた。
眞里の顔が苦悩に陰ったのが見えたのだろうか。土方は、静かに眞里の名を呼んだ。
「はい」
「……あんたなら、男の格好も堂に入ってる。昨日の晩の様子から見りゃ剣の腕もなかなかと思う。……剣術指南を頼みたい」
刀を隙なく構えた動作や、所作などから土方の剣の腕も高いことが伺える。同様に、眞里の腕も昨晩の一刻に満たないやり取りで知れたのだろう。
剣術指南と言われ、眞里は首を傾げた。
「私の刀も槍も、戦向きです。確実に相手の息の根を止めるもの。――それでもよろしいのですか」
眞里の刀も槍も、戦で何人の戦意を喪失させ、息の根を止めるかを突き止めたものだ。
しかし眞里の疑問に土方はにやりと笑い。隣に立つ沖田も楽しげな様子でやりとりを眺めていた。
「上等だ。相手も死ぬ気でかかってきやがる」
「君みたいに、土方さんみたいな見た目の人にこてんぱんにされれば隊士もやる気があがるからね」
土方の頬がぴくりと上がる。
思わず土方の顔を眺める。
端整な顔立ちは、『役者のよう』と言うらしい。江戸にいる際、眞里もよく街の人々から言われていた。
役者、というのはいまいちしっくり来ないが、女の眞里が男装をすると土方の様な風貌になる。
千鶴も眞里と土方の容貌を見比べるとなるほどと納得したように呟いた。
その場の忌々しいであろう空気を払拭するために土方は一つ咳払いをすると眞里の名をもう一度呼んだ。
「なぜ、私に?」
「……正直に言やぁ今、新選組(うち)は人手が足りねえ。あんたが隊士にいれば、こいつも脱走なんて考えねえだろうしな。……だが、お前を隊士とするのは近藤さんが反対した」
「かといって、役立たずを何人もここに置く余裕はないからね」
だから剣術指南役。なるほどと眞里は納得した。
堂々と鍛錬もできるし、ただ飯ぐらいだと気にする必要もなく、鍛錬の相手もできる。
千鶴は沖田の言葉を気にしているようだったが、眞里は口元だけで笑った。
「その話、お受けします」
「……でも、眞里さん」
「大丈夫だよ。……大した修羅場を抜けていない奴の剣などで私は怪我なんかしない」
不敵な笑みと共に千鶴に告げられた眞里の言葉に、土方や沖田は眞里を不愉快そうに見るが眞里は気にせずに千鶴の頭を撫でる。
「言ったよね。武士は受けた恩は必ず報いると。……千鶴にはたくさんのものを貰ったの。私のこの腕で君を守れるならこれ以上ないくらい幸せなことだから」
「でも、京に来るまでたくさん守って貰った」
「……武田の者は一度約したら決して違えない。それが、武田。私は武田の武将。そう言ったよね」
無理矢理な言葉だが、眞里が一度決めたら泣き落としでも変えないことを分かっている千鶴は不承不承ながらも頷いた。
「顔合わせは明朝にでも行う。その時に槍も渡す」
「ありがとうございます。土方殿」
「じゃあ僕らは戻るね。おやすみ」
出て行く二人を見送り、千鶴は気分を変えるためか寝床の準備をはじめた。
しかし、その背中が不満そうなのを見て眞里は息を吐いた。
「ねぇ、千鶴」
「はい?」
「……少し、話をしようか」
寝床に腰を下ろし千鶴を見ると、彼女は首を傾げながら眞里の普段とは違う様子に素直に真っ正面に腰を下ろす。
「千鶴は、武田信玄を知っている?」
突然なことに驚きつつも千鶴は頷いた。眞里も小さく頷くと静かに目を細め笑った。
その笑い方があまりにも透明で、見たこともなかった為に息を呑むが、眞里の次の言葉に絶句した。
「私は、戦国の世で武田信玄公に使えていた武将なの。と言ったら、どう思う」
千鶴の反応を待っていた眞里は彼女の挙作をじっと見つめた。
どのような反応が来るかは分からなかった。
驚くか、否定するか。
しかし、千鶴の反応は眞里の予想を裏切った。
優しい微笑みを浮かべて小さく頷くと、
「納得します」
「……納得?」
「はい。だって、眞里さんに幕府の説明とか、江戸の説明。藩の説明とかしたの私ですよ? 戦国の時代は私はよくわからないですけど、藩はなかったし幕府もなかった。だからですよね?」
にこにこと音がしそうな程な笑顔を浮かべている千鶴に、眞里は降参した。
「参った。……ありがとう、千鶴」
「私こそ、教えてくれてありがとう」
「……長くなってしまうけど、聞いて欲しいの。……私が生きてきた道を」
千鶴の頷きに眞里はまたも礼を述べると昔話を始めた。
女子として生まれたが、真田に対抗心を抱いた父により、武将として、大らかな母により姫としての教育を受けたこと。
信玄の元で賑やかに過ごしたこと。初陣、好敵手であり親友である真田幸村のこと。
同盟国である伊達の頭領である政宗、右目役であり参謀の片倉小十郎と刃を交え、鍋を囲んだこと。
武田の宿敵、上杉謙信と死闘を繰り返した戦。川中島の合戦。
幸村の部下、真田十勇士との思い出。
信玄が亡くなり、勝頼が跡目を継いだが、度重なる敗戦に武田の滅亡を覚悟したこと。
長篠合戦で幸村を庇い、爆弾兵の特効を受けたこと。
「もう、未練はなかったから。黄泉路へも抵抗がなかった。真田の六文銭も握っていたし。でも目が覚めたら」
「家に担ぎ込まれていたんですね」
首もとにはまだ、六文銭がかかったまま。そっと着物の上から抑えて、その感触を確かめる。
眞里は幸村より早く初陣を迎えた。出立の前に顔を赤く染めた幸村から渡された、真田六文銭。以来眞里の首もとから外されたことはない。
涙ぐむ千鶴の頭を胸元に引き寄せて、頭を何度も掻き撫でる。
廊下の奥から人の気配が消えるのを待って、眞里は小さな声で囁いた。
「正直……家康殿が目指した筈の天下太平の世から離れている今の幕府のあり方に疑問は抱くけれど、私は信じる者を守るために槍や刀を振るうことに抵抗はないから。……私のことは気に病まずに、千鶴は千鶴らしく居ればいいから」
廊下にて聞き耳を立てていたのは、新選組局長である近藤と、副長である土方だった。
「あっちに何かまだあるだろうとは思っていたが……」
「本物の武将だったとはな。武田信玄公といえば、甲斐の虎と名高き武将。所作や、威圧感はやはり本物だな」
「……14で初陣か」
長年武功をたてているだろう彼女は、新選組の誰よりも人を斬った経験の持ち主である。
「ってえことは、あの槍と刀は信玄公から下賜されたのか」
「うーむ。どうりで名刀の気配がするのだな。しかし……」
「ああ、近藤さんも気づいたか」
真田幸村は、武田信玄の亡くなった後に活躍し、長篠合戦には参加していない。
ほかにも二人の知る限り、眞里が千鶴に述べていた内容は、一般に知られている史実とずれが生じている。
「……明日、正す必要があるな」
「だが、我々は盗み聞きしていたのだから堂々と聞けないだろう」
「俺らが居ること分かって話してんだよ。……何か考えがあるんだろうさ」
「何?! 気づいていたのか?!」
「勘だけどな。やたら気配に敏感なのは、今日の挙作で分かってる。……明日、正す時には俺と近藤さんだけでいいかい」
「ああ。彼らに話すかは彼女に決めて貰った方がいいだろう。……我々のみに聞いてほしいとした彼女の思いを沿わねば」
***
どの段階でばらすか考えましたが面倒なので序盤に
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