デフォルト名:立花眞里
眞里は土方の部屋で書状を纏め上げると処理済みの山に積み重ねた。
座った姿勢のまま振り返り、黙々と書を認める男の背中を眺めて幾許か考えると静かに気配もなく立ち上がる。部屋の隅に置かれていた急須に冷めてしまった湯を注ぎ、湯飲みに茶を淹れる。
湯飲みを盆に乗せると再び立ち上がり、筆を置いた男の横手に湯飲みを静かに置く。
眞里の手と湯飲みを置く音でようやく気付いたのか男――新選組副長、土方歳三は眞里を振り返る。
「終わったのか」
「はい、一通りは。そろそろ一息入れませんか?」
「……ああ」
紫苑の双眸から剣呑な色が瞬きの間に消える。整った顔立ちの土方だが、その顔に疲れが浮かんだまま数日が経っていた。
季節は夏。
眞里が土方の仕事の簡単な手伝いを始めて一月が経っていた。
きっかけはもう覚えていない。小さなお節介からだったか、何だったかは分からないが、結果として眞里は土方の小姓の様な役割をこなし始めている。という現状認識で足りる。
朝や夜の食事担当は気づけば千鶴が担い、眞里は剣術槍術指南と副長の補佐擬き。平隊士の中ではそのような扱いだった。
ぬるい茶を飲み干すと、土方は眞里が終えた仕事の山を見る。
書を試しに書かせれば、武家の跡取りとして育てられた為か達筆であり、学もある。武に一辺倒かと思いきや、勘定方のような仕事も一通りはこなす。
何より、仕事を任せた際に安心感が先に立つ。
生きた時代が古いためか、学は古いがそれでも幹部達よりよほど役に立つ。何より誰より気が利く為傍に置いておくと楽に仕事が片付く。
新選組の内部の仕事は土方がほぼ統率している。新選組に深入りさせないためには手を借りるべきではない。それは分かっているのだが、首が回らなければどうにもならない。
近藤からの薦めと、眞里本人からの申し出により土方の補佐の様な仕事を行うようになった。
眞里を補佐に据えた出来事を思い出しながら眞里へと視線を投げる。静かな顔で湯飲みを膝に乗せた両手に持ちながら外を眺めていた。
普段は男装しているからか、人目のつく場所での振る舞いは『男』そのものである。やはり、生きてきた年数の大半を男ばかりの軍で生きてきたからだろうか。
だが土方の傍らで補佐擬きをさせていると、ふとした瞬間の仕草で、こいつも『女』なのだと思わされるときがあった。
人が大勢居るときは無意識に、男と見せる仕草をしているが、気を許しているときはやはり本性が先にでるようだった。
「流石は武田信玄の小姓をしてただけあるな」
「小姓と言っても名ばかりでしたよ」
笑いが含まれた声に土方を振り向かない眞里の顔へと視線が向く。
無に近い表情で庭を見ていたその顔に、複雑な感情が浮かぶ。嘲りと、懐慕、哀惜。それに近い色に瞳が翳る。
「御館様の所に居た頃は毎日が修行でしたから。嫡子としての教育と……あとは」
「あとは、何だ」
続きを問うと、懐古したのか柔らかな笑みを浮かべてそっと目を伏せた。
平隊士の目がないとき、刀を握る必要がないとき。それらの時は眞里は、普段と印象ががらりと変わる。歴とした年頃の娘なのだと、改めて思い知らされる。
「お目付役の忍の目を盗んで毎日のように街に行って、茶屋巡りをしたり、時には幸村に付き合わされて奥州まで行ったり」
「奥州だぁ?!」
ちょっと出掛ける。にしても遠出過ぎる目的地に土方は目をむく。土方の反応も予想通りだったのか苦笑いで応えると、遠い目をしてどこか懐かしむ表情を浮かべた。
「武田は奥州伊達と同盟関係で、筆頭の伊達政宗殿と幸村は良き好敵手でしたから。文で呼ばれると喜んで飛び出していきましたよ」
私も巻き込んで、とくすくすと笑いながら眞里はそのときを思い出す。
巻き込まれていっても、自分は伊達領を見学させて貰ったり、片倉の畑の手伝いや、成実と街を散策したりと眞里なりに楽しんでいたのだが。
土方はそんな眞里を眺めながら自身も気づかぬうちに優しい目をしていた。
保護という名目で新選組に置かれた二人には窮屈な思いをさせているのは重々承知している。そのことに二人が不満を一切口にせず耐えていることも。
千鶴もようやく隊士達と馴染んできたし、毎日の食事もまともなものが出るようになった。
眞里の稽古指南という無理矢理作られた役も、よく機能しており、伸び悩む者で自棄になる者も減った。
加えて眞里は土方の仕事の補佐もそつなくこなしている。
「(――潮時だな)」
土方は深く息をつくと眞里を呼び彼女の意識も土方に向けさせた。
和らいでいた空気から少し緊張感のある空気へと変えると眞里は静かに言葉を待っていた。
「意見を聞きたい」
相槌を求めていないことを理解した眞里は小さく頷いた。
「綱道さん探しも行き詰まってきた。お前らを半年も待たせちまったが……。雪村を巡察に同行させる。立花。お前はどうする」
千鶴を巡察に同行させる。それに対して叛意はない。むしろ賛成である。そしてそこに眞里を含ませないのは恐らく土方なりの配慮だろう。
指南役として座しているために眞里が隊士だと思っている平隊士は多い。その誤解は敢えて解かれずにおいている。
しかし巡察に同行すれば、眞里は隊士と共に微塵の躊躇もなく鯉口を切る。
そのことは土方の避けたい処であり、近藤も許さない。
「出来れば私も綱道殿の捜索を手伝わせていただきたいのですが、手段は土方殿にお任せいたします」
監視ありでも、特定人とのみの外出でも構わない。
その意を含めた解答に土方は予想通りだったのか、深く息を吐くと視線を逸らす。
「……昼の後にもう一度呼ぶ。それまで休んでろ」
昼の後、千鶴と共に土方に呼ばれた眞里は広間に沖田、藤堂、斉藤が座していることに内心首を傾げながら静かに腰を下ろした。
襖が閉じられたのを見て、腕を組み、目を閉じていた土方は静かに二人を見据えると口を開いた。
「てめぇらに外出許可をくれてやる」
眞里は朝のやりとりがあったためにああ、やはり。と納得しただけだが予想できていなかったらしい千鶴は驚きに目を見開いている。
反対に幹部三人のうち沖田と藤堂は納得したように頷き、膝を打つ。
「なーるほど。だから俺たちが呼ばれた訳ね」
「雪村は市中を巡察する隊士に同行しろ。隊を束ねる組長の指示には必ず従え」
「はい!」
途端に破顔した千鶴に藤堂は優しい眼差しを浮かべる。眞里も軽く千鶴の頭を撫でる。
「総司、平助。今日の巡察はお前等の隊だったな」
「でもさ、土方さん。俺の隊は今日は夜の巡察担当だから、昼の担当の総司の一番組の方がいいと思う」
「夜より昼の方が安全っていうのは僕も同意見かな」
でも、と悪戯の様な光を宿した瞳を輝かせると沖田は千鶴を見て冷たく笑う。
「逃げようとしたら殺すよ? 浪士に絡まれても見捨てるけど、いい?」
冗談に聞こえない冗談を笑顔で言う沖田に千鶴の背筋に冷たいものが走る。
萎縮してしまった千鶴の様子を見てか、土方は深く苦々しい息を吐くと沖田を睨みつける。
「いい訳あるか馬鹿。何のためにお前に任せると思ってんだ」
「あはは、冗談ですよ」
「冗談に聞こえる冗談を言え」
斉藤の素っ気ない言葉に沖田はやだなぁ、とからからと笑う。
言いようのない空気に千鶴は固く手を握り袴を掴む。
千鶴は千鶴なりの決意を固めそれを彼らに告げる。決して逃げずに父である綱道を探す。そのために新選組の力を貸して欲しいと。
真剣に頭を下げる千鶴に、沖田も意地悪な発言についての非を認めたのか困ったように微笑みを浮かべる。
「ごめんね、少しからかいすぎたかな。でも、何が起こるか分からないのは本当のことだから。そういう危険を承知でついてくるっていうなら僕の一番組に同行してもかまわないよ」
ありがとうございます、と再び頭を下げる千鶴に若干の緊迫した空気は収束を見せた。土方は苦々しく思い息を吐くと厳しい顔つきで眞里と千鶴を見る。
「長州が不穏な動きを見せてやがる。本来ならお前等を外に出せる時期じゃない」
「ならば何故許可を?」
じっと言葉を噤んでいた眞里の言葉に土方は決まりが悪そうに視線をそらす。
「江戸の家にも帰ってないらしいし、京の町中でも綱道さんらしい人を見たっていう証言も上がっている」
それに、と言葉を切る土方は静かに瞳を閉じる。その怜悧な顔に一瞬、優しい色が浮かぶ。しかし、すぐに消えてまた厳しい顔へと戻り今のは幻を見たのではないかと思えてしまう。
「半年近くも辛抱させたしな。機会を見送り続けた処でこれ以上の進展も望めねえだろう」
「それに今は腹を壊してる隊士も多いしなー。オレらも万全の状態じゃないし」
茶化すかのような藤堂の声に土方は渋面を濃くする。
この夏、京は猛暑に襲われていた。いくら強者曲者揃いの新選組も自然には勝てなかったらしい。多くの隊士が猛暑に伏せって居る。
だからこそ、眞里も土方の手伝いで部屋に籠もっていた。土方の部屋は比較的涼しかった為に体調を崩すという事態には至っていない。
「とにかく、俺は許可を出してやる。行くか行かないかは雪村。お前が判断しろ」
「はい」
そう言いつつも土方は反対なのだろう。
考え込むように俯く千鶴から眞里へと視線をやると斉藤を見て渋面のまま頷く。
「立花、お前は巡察には同行するな。非番の幹部を連れてなら許可する」
「土方さん、今日はオレということで宜しいのですか」
「他の非番の奴らは予定があるらしいとかって言われたからな。斉藤も用事があるなら他を当たるが」
土方の言葉に考える間もなく斉藤は用事はないことを告げると、眞里を呼び静かに退室した。
土方に目線で促されて眞里は、慌てながらも微塵も感じさせない動作で立ち上がると斉藤の後を追いかけた。
一連のあまりにも早い展開に千鶴と藤堂が目を丸くする中、沖田が笑いを含んだ声で土方を呼ぶ。
「何で眞里ちゃんは幹部だけでいいんですか?」
「分かってて聞いてくんな」
「嫌だなあ。とりあえず、剣の腕ってとこかなとかは思いますけど」
藤堂は納得したように手のひらを打つが再び疑問が浮かんだのか首を傾げる。
確かに眞里の腕ならば、幹部一人と出歩いても不測の事態には対応できるだろう。
「確かに眞里の腕なら護衛なんていらねえけど、なら一人でもよくない?」
「一人で行かせてどうする」
「……あ、そっか」
目の前で弾む会話について行けずに千鶴は目を白黒とさせるが、やがて息を飲むと沖田へと向き直り。
「沖田さん」
「ん? 決めた?」
「はい。……よろしくお願いします」
静かに頭を下げた千鶴に沖田は同行の許可を再び告げて静かに立ち上がる。藤堂も同じように立ち上がると、千鶴にも立ち上がるように促す。
連れたって退室する二人を見送り、土方は深くため息をついた。
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気づけば、庖厨と副長室を手玉に取っています。末恐ろしい子!
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