デフォルト名:立花眞里
千鶴と眞里が新選組に身をおいてから一週間が経過しようとしていた。
その間、新選組に身を置くことが決まった日の夜に幹部と約束した通り、二人は男装を続けていた。
袴を穿き、晒しを巻きつけ着流しで一日を過ごす。
戦国の世の武将であった眞里からすれば、窮屈な鎧で過ごさぬ間はいつも袴と着流しであった為に別段不自由は感じず、逆に言えば普段通りであった。
「千鶴、疲れた?」
「はい……。最初の事を思えば、命があるのとの方が有り難いって分かっているんですけどね……」
苦笑いを浮かべながら千鶴は静かに髪を高く結い上げる。
千鶴は生まれたからずっと、女子として過ごしていた。女髪を結って、小袖に身を包み。
そんな生活から一転して袴ばかりだとやはり窮屈なのだろう。
加えて、千鶴と眞里は二人部屋である。
多くの隊士達は組ごとに大部屋で、二人部屋や一人部屋は幹部のみである。
突然現れた子供、しかも隊士でもなく大層な仕事をしている訳でもない千鶴が二人部屋を使用していることに、不満を隠さない隊士が多い。
幹部達は監視と称して千鶴に仕事を手伝わせたりするが、それでも小姓と呼ぶには半端な仕事振り。
話しかけたとしても男言葉になれない千鶴は上手く言葉のやりとりができず、気まずい空気が流れていた。
一方の眞里は手が完治して以降、稽古場で水を得た魚の如く鬼神のように槍と刀を振るい、隊士達から畏敬の念を抱かれていた。
槍は原田に引けを取らず、刀も沖田に引けを取らない。
刀も槍も手足のように使いこなす眞里に、感化されてか憧れてかここの所稽古場は人で溢れていた。
更に、武術の腕前だけでなく料理もきっちりこなす眞里は隊士の憧れの的であった。そんな眞里と同室であるためか、千鶴への眼差しは羨望、妬みも混ざっている。
そのことに千鶴は気づいていなかったが、眞里は申し訳なく思っていた。
「いつ父様を探しに行けるのかなぁ……」
寂しげな響きに眞里は千鶴を振り返る。
暗いけれど無理矢理明るくしようとしている表情に苦笑しか浮かばない。すっと腰を上げて千鶴の側に腰を下ろすと千鶴の頭をそっと撫でる。
「土方殿は、意地悪で私たちに外出を禁じている訳ではないよ。まだ、時期ではないってことなんだろうね」
「それは……そうだと思うんですけど。探しに来たのに……」
探しに行けないもどかしさ。それを紛らわせたくとも、千鶴は部屋からは出れない。それが余計にもどかしさを募らせるのだろう。
「土方殿は今は大坂だ。屯所内を歩くぐらいなら大丈夫じゃないかな?」
どうせ監視もついているのだから、歩いたって構わない筈。けれど真面目な千鶴は迷うように首を捻る。
「うーん……」
信用されていないわけではないが万が一何かが起こったら困る。今の監視の意味はそんなところである。
だから、あまり隊士がうろついていないこの時間帯はまだ監視がついていない。
「私は中庭で素振りをしているから、気が向いたらおいで」
「はいっ!」
最近の日課である。
稽古場は幹部がいなければ使用してはいけない。だが、朝餉の前に鍛錬をしたい眞里は、朝から親しくもない男子の部屋に行く心意気は持っていなかった。
その為、毎朝中庭で素振りをしていた。
今は大坂にいる土方には、はじめたその日に見つかってしまったが、静かに型をなぞるだけの眞里に中断を言い渡さず「周りを壊すなよ」とだけ言って背中を向けた。
それを土方の許可と取った眞里はそれから毎朝中庭で素振りを続けている。
「……朝から威勢がいいな」
廊下の板張りで立ち止まる音がする。
振り返らなくとも、気配で斉藤と沖田の二人だと分かる。
分かっているが中断するのも嫌なのでそのまま続ける。
無視していることが気にならないのか、沖田もその背中に声をかける。
「おはよう、眞里ちゃん。稽古場は使わないの?」
ようやく振り終えた眞里は、乱れた前髪を軽く払って二人を振り返る。
「おはようございます。沖田殿、斉藤殿。稽古場は、幹部の方々の誰かとと言われているので」
「なら起こしに行けばいいよ。みんな喜んで付き合ってくれるって」
「……総司」
楽しげな沖田を制した斉藤に眞里は首を振る。
「流石にそこまでは。それにこれは一人で行うことですし、土方殿から許可を頂いていますので」
「土方さんが? 珍しいな」
「副長は何と?」
本当に驚いたのか目を丸くする二人に、眞里は首を傾げる。
「何も壊すな、と」
「……あんたはよく副長が言いたいことを理解できたな」
「本当だよ。素直じゃないから、千鶴ちゃんとかだったら絶対勘違いしてるよね。いや、大体の隊士もそうかな」
本人に聞かれる畏れがない為に言いたい放題である。
けれど、それだけ土方が彼らに愛されているということだろう。
「優しさとは目に見える全てではありませんから。土方殿はまだお素直な方ではないでしょうか」
素直ではないのに優しい人を眞里はたくさん知っている。
奥州伊達筆頭、独眼竜伊達政宗、その参謀の片倉小十郎はその典型だ。彼らは見た目の凄みも加わって誤解されやすさは土方の比ではない。
「ふーん、よく言ったもんだね。で、僕らは伝言だよ。十番組がもう張り切って朝餉の準備をしようとしていたよ」
「ありがとうございます。では失礼します」
いつもならば誰も準備を始めない時間の筈なのだが、十番組と三番組は朝が早い。
まだそのことが身についていない眞里は慌てて中庭から廊下へと上がった。
伝言を継いでくれた沖田と斉藤に軽く頭を下げると、部屋に槍を置きに向かった。刀は腰に挿せるが槍は持ち歩きには不便なためである。
去りゆく背中に、沖田は楽しげにくすくすと笑う。
「彼女、僕たちと同じ年って言ってたよね」
「ああ」
「なのにああも固い口調だとつまらないよね」
千鶴には、優しいのに。
そう呟いた沖田に同意するのか斉藤は小さく頷くが、しかし、と続ける。
「彼女なりの線引きなのだろう。信用と信頼は違う」
「仕方ないこと、ってことだよね。でも」
やっぱりつまらないよね。
そう呟く沖田を横目に、斉藤は先ほど見た眞里の素振りを思い出す。中庭の土には無駄な足跡がついていない。
手合わせからはきちんとした流派は見いだせなかったが、先程の素振りから思うにやはり我流に近いのだろう。
しかし、その型は近藤や土方の型に似ているように思えた。
人を斬るための剣。
おそらく新選組のどの隊士も、人を斬った経験は眞里には適わないだろう。そう言ったのは土方だったか。
原田達ははじめは笑って一蹴したが、彼女と手合わせをすると一同に同意を示した。
「おはようございます。沖田さん、斉藤さん」
中庭へと足をおろしていた二人へ、廊下から声がかけられる。
先程とは逆の立場で、沖田達が立っていた場所には千鶴が居た。その顔色は冴えない。
「おはよう、千鶴ちゃん。明るいような暗いような、微妙な顔してるね」
沖田のからかいの含んだ声に千鶴は驚いたように頬に手を当てる。
「な、何か顔に出てますか……?」
「むしろ、その反応に出ていると思うが。俺たちに用があるなら言うといい」
といいながらも千鶴が言いたいことなど分かり切っている。
父親を捜しに京まで上ってきたというのに、外出もままならない。
予想通りの答えを言う千鶴に斉藤は無理だと告げる。千鶴の外出の為に避ける人員が整っていないのだ。と。
しかし、却下されても諦めない千鶴に沖田が考えるように、妥協策を告げる。
新選組は京の治安警護の為に組毎に巡察にでる。それに同行すれば、護衛はいらない。
しかし、巡察は命がけである。
取り締まる浪人は捕まれば最後とばかりに命がけで抵抗してくるのだ。その際、自分の身を守れない者などつれては行けない。
意地悪な口調の沖田が言うことは正論であった。
「私だって護身術くらいなら……」
「ならば俺が試してやろう。腰のものが飾りではないと証明して見せろ」
突然の事に驚いた千鶴は、自身の小太刀と斉藤を見比べる。
雪村家に伝わる刀。肌身はなさず持つようにと言われて、小太刀の道場に通い護身術は身につけた。
眞里が来てからは何度か稽古もつけて貰っている。
「確かに小太刀の道場に通っていましたし、眞里さんに何度か稽古はつけてもらってますけど……」
「加減はしてやる。遠慮は無用だ。どこからでも全力で打ち込んでこい」
「でも……」
突然の言葉に動揺を隠せない千鶴を、斉藤はつまらなさそうな顔で見る。
「どうした、雪村。その小太刀はやはり飾りか。立花に稽古をつけてもらったのだろう」
「でも、斬りかかるなんてできません!! 刀で刺したら、人は死んじゃうんですよ!?」
千鶴の言葉に二人は呆気に取られたようだった。ぽかんと目を見開いて千鶴を凝視している。
おかしな事を言っただろうか、と首を傾げると次の瞬間に沖田は腹を抱えて大声で笑い出した。
「斉藤君相手に『殺しちゃうかも』なんて、不安になれる君は文句なしにすごいよ。最高!」
「…そりゃあ、勝てるなんて思ってはいませんけど……。刀って、斬るものなんですよ? 万一にも怪我しちゃったら困るじゃないですか。それに、人を傷つけるかもしれない刃物を、意味もなく抜くなんてできません……! それに、江戸を出るときに眞里さんにも言われたんです。刀を抜く以上、相手と自分の命を刃に乗せることを忘れるなって。相手の命を背負う覚悟がないなら、決して抜かずに逃げろって……」
その言葉は千鶴を安心させた。自分でも甘いことを言っていることを理解している千鶴は、同意してもらえてホッとしたのだ。
護身術を習っていて、身を守るために刀を振るうことはあるかもしれない。けれど、振るわずに逃げることが適うならそうしたかった。
だから、江戸を発つ時に言われた言葉は千鶴の支えでもある。
千鶴の言葉を聞いて、笑いを納めた沖田は笑みを浮かべた。悲しさと優しさが内包した複雑な感情が色濃い笑みを。
「君の気持ちはわかったけど、自分の腕前を示しておけばいいことあるかもよ。君がそれなりに刀を使える人間だってわかれば、僕たちも君の外出を少しは前向きに考えるし?」
考えつかなかったことに千鶴は驚いた。
「どうしても刃を使いたくないと言うのなら、鞘を使うか、峰打ちで打ち込め」
先程までの千鶴ならばその言葉にまだ抵抗を示した。
しかし、自分が試されている理由を知った今は、迷うことなく小太刀を引き抜いた。
「よろしくお願いします」
千鶴が小太刀を峰打ちで構えると、斉藤は小さく笑って頷いた。
結果としては、居合いの達人である斉藤に簡単に刀を弾かれてしまった千鶴であるが、斉藤のお墨付きをもらうことができた。
斉藤と沖田が巡察の同行を頼むと請け負うが、やはり出入り禁止を申し渡した土方がいない現在。現状のまま変化が見込めないのは仕方のないことだった。
朝餉の準備が出来たと声をかけられ、三人は連れたって中庭を後にした。
中庭には来たときとは打って変わって晴れやかな顔をしている千鶴に沖田は楽しげに笑みを零した。
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