デフォルト名:立花眞里
頬を撫でる空気に意識がまどろんだ。
いつも、早朝のやり取りは決まっていた。
熱い拳を振り上げ、愛弟子を殴り飛ばす主君。その拳を受け、投げ飛ばされてもすぐさま戻り主君を殴り返す幼友達ともいえる男。
互いの拳を駆使しての純粋な殴り合い。……密かに殴り愛と呼ばれてもいたがそれもまた的を射ていた。殴り愛により、眞里が所属していた武田軍は目を覚まし、殴り愛によって破壊された建物の修繕が朝餉の前の運動になっていた。
大勢の気配に、賑やかさ。それらと共に規律された空気は、既に亡くした武田軍での思い出を蘇らせる。
寝かせられていた布団から起きあがり、耳を澄ませても殴り愛のかけ声は聞こえない。
ここは、眞里が生きて、命を懸けて愛し守った時代ではない。
「……御館様。私は、ここでどのように生きていけばよいのでしょうか」
ぽつりと呟けども、応えはない。心の中でも答えは出ない。
固く布団を握りしめた時、部屋に近づく気配を感じて眞里は襖へと顔を向けた。
同時に音もなく襖が開くと、斉藤が眞里を見て驚いた顔をしていた。
「……すまない。起きていたのか」
謝罪は断りもなく襖を開けたことだろう。眞里は緩く首を振ると、斉藤の訪ないを尋ねる。
「昼だ。……既に彼女も向こうにいる」
「分かりました」
頷くと、静かに布団から出る。軽く着物を整え、解かれていた髪を右手で撫でる。左手が使えないと髪を結えない。
「俺でよければ手伝うが」
「……お願いします」
流し髪で昼の席に着きたくないために、遠慮がちに申し出を受ける。
斉藤に髪を結わえて貰うと、先導して歩く彼の後をついていく。
一言も話さない斉藤は、部屋の前で足を止めると、襖に手をかけ眞里をちらりと振り返った。
「自分の飯は、自分で守れ」
眞里が言葉を返す前に、部屋の中に入った彼は、遅いと文句をしれっと聞き流し定位置であろう場所に腰掛けた。
「ああ、眞里君。目が覚めたかい?」
「こっち座りな」
近藤の笑みに黙礼すると、原田と永倉の間に誘われ素直に腰掛ける。千鶴は沖田と斉藤の間である。
食べ始めてすぐに、斉藤が言った言葉を理解した。
膳に乗っているのは煮魚と、お浸しと味噌汁と米。
左手が使えないために、先に煮魚を一口大ずつ解し、お行儀良く箸を進めていく。
「へっへーん、貰い!!」
「あー! また俺の魚取ったな!!」
「早いもの勝ちってな! ってことで」
突如隣側で聞こえた騒動に、千鶴が目を白黒とさせて驚いているが、眞里は我関せずと右手の箸だけで黙々と食べ続ける。
が突如、箸を逆手に持ち直し永倉の方へと突き出す。
飛び出してきた永倉の箸は、見事に眞里の箸にからめ取られた。
「なにっ?! 見切ったのか!」
「すっげー!」
「よく新八の箸防げたな」
騒ぐ周囲に構うことなく平然と食事を再開する。
それから三度と狙ってきた永倉の箸を悉く交わし(標的を見切って自分が食べたり、皿ごと動かしたり)た眞里の膳を狙う者はいなくなった。
「すごいな。慣れてんのか?」
「……十数年ですね。何かを共に食べると私の分まで狙う奴らと一緒に居ましたので。撃退策は整っています」
「……大変だったな」
言わずと知れた、真田六紋銭を背負い、御館様の名を叫び、毎朝殴り愛をして、己の忍び達に修繕を得意にさせた男のことである。
食後に手を合わせお茶をのんびりと楽しむ、眞里を見て井上がにこりと微笑む。
「右手しか使えないから、不便だろうと思っていたけど大丈夫そうだね」
「お気遣いありがとうございます。食事くらいなら、片腕でも慣れていますから」
膳が下げられるのを手伝おうとすると、土方に千鶴と共に名を呼ばれる。
言われるがままに彼の前に座り直すと、彼はじっと眞里を眺めた。
その涼しげな双眸がなにを求めているのか理解した眞里は深々と頭を下げた。
「朝はご迷惑をおかけしました」
「ちったあ、ましな面になってるな。色々聞きてぇことがあるが……」
その瞳は左腕に視線を注ぐ。言いたいことを正確に読みとった眞里は小さく頷いた。
「あんたと、雪村の関係を聞こう」
眞里はちらりと千鶴を見やる。頷き返されるのを見て、慎重に言葉を選んだ。
「私は一年ほど前から、千鶴の家でご厄介になっていました。今では、用心棒兼居候です。千鶴が綱道殿を探すために京に行くと言うのでついてきました」
「……一年くらい前でした。大怪我をしていた眞里さんがうちに運び込まれたんです。全身大怪我をしていて、意識が回復するのに一週間かかりました。行く宛がないし、治療費を払えないという眞里を父様が用心棒として家に居ればいいと」
そのときを鮮明に思い出した千鶴は顔を大きく歪めた。
見慣れぬ甲冑に身を包み、火傷を負っている傷もあった。信じられないほどの勢いで回復したその身体には古傷がたくさんあり。武士とは、こんなにも辛く厳しい生き方なのだと心から染み入った。
「あんたは、武家の者か?」
「あの刀も槍も素晴らしい逸物だった。年代物のようだし、余程の家の生まれかと我々は思ったのだが」
どのように答えるべきか眞里は迷った。
眞里は、自分の生い立ちを誰にも話してはいない。千鶴には、それとなく伝えているがほかには誰にもなにも話していないのだ。
話したところで、信じてもらえるような話ではない。
眞里自身。自分で受け入れるのに一年かかったのだ。
江戸に残る様々な文献を苦労して読み、何度も何度も考えて出した結論。
それを千鶴にならまだしも、会って一日の彼らに話す気はしない。けれど、器用なうそをついて彼らを騙せるとも思わない。
眞里はこの時代に疎すぎるのだ。
「お察しの通り、私は武家の子です。あまり大きな家ではありませんが、立花家の本家筋の末娘として生まれました」
嘘は言っていない。ただ、どこの藩かと言われれば困る。
しかし土方は深く追求せずに目線で続きを促した。そのことに感謝しつつ、続きの言葉を考える。
「あまりにも女子が続いたせいで焦った父上が私を嫡男として育てることを決めました。なので私は、立花の末姫であると同時に嫡子でもありました」
「ありました?」
「男が生まれたのか」
「はい、数年前に。今までの償い代わりに自由に生きろと言われたので言葉の通り、自由にしようとして失敗して千鶴の家の厄介になりましたが」
これも嘘ではない。正しくはないが、嘘ではない。
眞里の日常からかけ離れた生い立ちに近藤が男泣きをし、土方がそれを窘めている。
部屋に戻った眞里は千鶴に願われて、自分の刀を見せた。
「うわ……重い」
「太刀だからね。……脇差しは、どこかに無くしてしまったから」
刃は太く、柄もずっしりとしていた。掘られた家紋は、立花家の家紋。
「これと、あの槍は御館様に戴いたの」
「御館様って、前に言っていたお仕えしていた方ですか?」
「うん。六つの時かな、小姓に出されて。同じ年の友もその時から、私と小姓として仕えていてね。だから、食事の攻防は得意なの」
「あれって、私もできますか?」
恐らく無理だろう、と眞里が首を振ると予想通りなのかうなだれる。無事に乗り切るには沖田の隣か、原田の隣で角がいいだろう。先程の食事の様子を思い出して伝える。
物静かな斉藤もさりげなく他人のおかずに箸を伸ばしていたので要注意である。
千鶴は眞里の左腕を見てから、ふと手当の際に見た身体中の傷を思い出した。
治るそばから負う傷のせいで、きちんと治りきらなかった傷が目立っていた。多くが刀傷で、打撲だったり、肉が抉れている部分もあった。
この時代。戦はない。
お家騒動もあるが、そう滅多に起こるものでもなく。
今の時代では眞里の様な傷だらけの身体は出来ないのだ。
「眞里さ――」
「……それは、また」
そっと千鶴の唇に指が押し当てられる。見上げた眞里の表情に息を呑む。
寂しげで哀しげな微笑み。泣きそうなほど張り詰めた緊張を孕んだ双眸。
まだ千鶴と眞里が共に過ごした時は一年と少し。
父親しかいない家族に、姉ができたようで楽しかった一年。
京へついてきてくれると言われたときの喜び。
ぽつりぽつりと話してもらえる眞里の過去。
「待ってます。眞里さんは私の姉様です」
揺れる瞳に、微笑みかける。
「話してもらえるのを待ってますね」
ありがとう。
揺れる声に、廊下で聞き耳を立てていた男は踵を返した。
「とりあえず、嘘じゃあねえだろうさ」
「嘘も何も彼女は大変な人生を歩んできて、それを会って間もない我々に話してくれたんだぞ」
ようやく男泣きが止まった近藤は固く拳を握る。土方の意見には賛成できないようだったが、山南は土方と同意見の様だった。
「嘘ではないけれど、真実でもない。そんなところでしょう」
そんなことよりさ。と原田や永倉は眞里の得物を思い浮かべる。
「怪我治ったら手合わせしたいな。あの槍を使うなら相当な腕前だろ?」
「ここには槍使う奴少ないからな。俺も手合わせしてぇな」
その時、二人を部屋に送っていった斉藤が戻ってきた。静かに襖を閉じて腰を下ろす。
「土方さん。彼女の腕が治ったらどうするおつもりで?」
「……今は、人手が足りねぇ」
静かに伏せられた瞳の奥の真意は読めない。
「まさか、隊士にすると言うのか?! トシ、彼女は女子だぞ?!」
「だが、あの腕を放っておくのは惜しい。恐らく本人も全快しても部屋でくすっぶってんのは辛れぇ筈だ。……あいつは武士だ」
土方のそれは賞賛でもあった。
眞里の腕を間近で見ていた沖田と斉藤はしたり顔で頷く。
「千鶴ちゃんが居る限り絶対ここから出て行かないしね。僕は賛成かな」
「……彼女の男装はなかなか出来ています。あのような使い手がいれば、隊士の志気も上がるでしょう」
斉藤と沖田の賛成に近藤は言葉に詰まる。
幹部の顔を見渡すが、三人以外も特に反対はしていない様子で、珍しく近藤一人が否定派だった。
「っな、ならば! 彼女が断れば無理強いしないように! これだけは絶対に譲れないぞ」
「分かってるよ近藤さん。本人がやる気を見せたら配置は俺に一任して貰ってもいいか」
「ああ。だが、彼女が了承しなかったら駄目だからな」
念押しする局長に、分かってるさ。と苦笑する土方には彼女の返答が分かり切っていた。
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どこにつけようか迷います。
もちろん彼女はBASARA技も戦極ドライブも可能です。
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