デフォルト名:立花眞里
夕餉の膳が並んだ部屋で、二人の男は苛立たしげに襖を見ていた。
そんな様子を見て眞里はくすりと笑うが、音で気づいたのか原田が眉尻を下げて眞里へと顔を向ける。
「笑うなって眞里。こっちはマジで腹減ってんだって」
「分かってますよ。足音もしますし、もう来たみたいですから」
空腹に鳴る腹を隠さずに目が据わっている永倉は、眞里の言葉に襖を鋭く睨みつける。
原田も再び襖へ目をやった時、大きく襖が開けられてようやく藤堂達が姿を見せた。
「遅ぇよ」
「す、すみません。私がモタモタしていたせいで」
原田の低い一言に千鶴が慌てて頭を下げるが、他の遅れてきた男は原田と永倉の恨みの籠もった視線を受け流して自分の席についた。
「おめぇら遅えんだよ。この俺の腹の高鳴り、どうしてくれんだ?」
「新八っつぁん、それってただ腹が鳴ってるだけだろ? 困るよねえ、こういう単純な人」
「おまえらが来るまで食い始めるのを待っててやった、オレ様の寛大な腹に感謝しやがれ!」
永倉の隣に藤堂、永倉と原田の間に千鶴が腰を下ろす。反対側では、藤堂の向かいに沖田、斉藤、眞里の順で並んでいた。
「新八、それ言うなら寛大な心だろ……。まあ、いつものように自分の飯は自分で守れよ」
原田の言葉に、千鶴も眞里も分かったように頷いた。食事中におかずが誰かに奪われることをすでに何度も経験している。
各が手を合わせ、食前の挨拶をすると同時に戦いの火蓋は切って下ろされた。
永倉と藤堂のおかずの醜い奪い合いに、既に動じない自分に驚く千鶴は素直に盗られて良いものと良くないものをわけて食べ始めた。
「慣れとは恐ろしいものだな……。このおかず、俺がいただく」
物静かな斉藤は静かに眞里の膳からおかずを奪っていった。
眞里も千鶴も黙々と食べ続ける中、眞里は不意に箸を置き静かに席を立つ。そのことに気づいた千鶴は声をかけるが、眞里は櫃の側にあった盆を手に沖田の横に膝を突く。
盆に乗せられた杯と酒に沖田は嬉しそうに眞里を見る。杯と徳利を手に取る。
「あれ、よく分かったね」
「箸を置かれましたから」
「ありがとう、貰うよ」
沖田が酒を口にしたのを見て千鶴が首を傾げ、もう食べないのか尋ねると沖田はちらりと永倉を見るとにやにやと笑った。
「うん、あんまり腹一杯に食べると馬鹿になるしね」
「おいおい馬鹿とは聞き捨てならねぇ……。だが、その飯いただく!」
頬を震わせながらも箸を伸ばす永倉を後目に沖田は酒を楽しみ始める。
眞里は自分の席に腰を下ろす前に、原田へと盆を差し出す。
「原田殿はどうしますか?」
「ありがとな、んじゃ俺も酒にするかな」
笑って盆ごと受け取る原田に眞里は軽く会釈すると自分の席へと腰を下ろす。一連の眞里の動作を見ていた千鶴に視線を送った沖田は揶揄を込めて声を弾ませた。
「千鶴ちゃんは、ただ飯とか気が利かないとか気にしないで、おなかいっぱい食べるんだよ」
「……わ、わかってます。少しは気にします!」
「気にしたら負けだ。自分の飯は自分で守れ」
黙々と食べ続ける斉藤の言葉に小さく頷いた千鶴は、若干永倉に減らされた食事を再開した。
まだ永倉と藤堂が騒ぎながら食べ続ける為、賑やかな空間が続く。
次第に綻んでいく千鶴を見て、眞里は安堵したように相好を崩す。
笑みを浮かべた千鶴を覗き込むと原田は笑みを浮かべる。
「千鶴。最初からそうやって笑ってろ。俺らも、おまえを悪いようにはしないさ」
「原田さん……」
大勢で食べたことの無かった食事は千鶴に複雑で暖かな気持ちをもたらした。整理をつけるためにそっと胸に手を当てて俯く。
そんな千鶴を見て、眞里が箸を置いた時だった。
襖が勢いよく開き、広間に井上が入ってきた。
「ちょっといいかい、皆」
声は穏やかであったが、浮かべた表情は苦悶であり、目は真剣な光を湛えていた。
和やかな食事の空気が一瞬で硬く真剣なものへと変化した。
井上は文を軽く上げと見せると、静かに口を開いた。
「大坂に居る土方さんから手紙が届いたんだが、山南さんが隊務中に重傷を負ったらしい」
皆、一様に息を呑んだ。
井上は文にあることを淡々とかいつまんで説明した。
大坂のとある呉服屋に浪士たちが無理矢理押し入ったところに駆けつけた山南達が浪士を退けたが、その際に手傷を負わされたらしいと。
「それで、山南さんは……!?」
「相当の深手だと手紙に書いてあるけど、傷は左腕とのことだ。権を握るのは難しいが、命に別状は無いらしい」
重々しい事実に千鶴以外の者は、苛立たしげに目を伏せた。
しかし、千鶴のみが山南の無事を喜び声を上げる。それに対して、幹部は誰も厳しい顔を崩さない。
眞里は静かに居住まいを正す。
「数日中には屯所へ帰り着くんじゃないかな。……それじゃ、私は近藤さんと話があるから」
「井上殿」
背を向けた井上に立ち上がった眞里が声をかける。顔だけで振り返った彼は眞里の言いたいことを理解して、眞里が出られるように襖を開けた。
二人分の足音が去っていくのを聞きながら、斉藤は重苦しい空気が理解できないで居る千鶴に説明するように口を開く。
「刀は片腕で容易に扱えるものではない。最悪、山南さんは二度と真剣を振るえまい」
ようやく理解が追いついた千鶴は顔を青ざめさせる。
命は助かったが、武士としては生きていけなくなった。
「片腕で扱えば、刀の威力は損なわれる。そして、つば迫り合いになれば確実に負ける」
「……はい」
小さく頷いた千鶴を、沖田が酒を舐めながら鋭い目で一瞥する。
「薬でも何でも使ってもらうしかないですね。山南さんも、納得してくれるんじゃないかなぁ」
「総司。滅多なこと言うもんじゃねぇ。幹部が『新撰組』入りしてどうするんだよ」
永倉の発言を理解しきれなかった千鶴は首を傾げる。
「山南さんは新選組総長ですよね? 今の永倉さんの言葉だと山南さんが新選組ではないような……」
千鶴の言葉にようやく彼女がいることを思い出したのか、永倉の肩が強張る。一瞬空気も硬くなるが、藤堂は気づかないまま空に字を書くまねをした。
「普通の新選組は、新しく選ぶ組って書くだろ? 今言った新撰組は、せんの字を手偏にして――」
「平助!!」
藤堂の言葉は原田に殴り飛ばされた為に続かなかった。
飛ばされた藤堂は勢いよく壁にぶつかり殴られた頬を押さえる。
思わず立ち上がりかけた千鶴の肩を押さえた永倉は、疲れたように息を吐くと原田を見上げる。
「やりすぎだぞ、左之。平助も、こいつのことを考えてやってくれ」
「……悪かった」
「いや、今のはオレも悪かったけど……。ったく、左之さんはすぐ手が出るんだからなぁ」
助け起こす原田と起こされた藤堂のやりとりはあまりにも普段通りで、千鶴は改めて自分は新選組の片隅に身を置いているにすぎないことを実感した。
「千鶴ちゃんよ。今の話は、君に聞かせられるぎりぎりのところだ。これ以上のことは教えられねえんだ。――気になるだろうけど、何も聞かないで欲しい」
優しい声とは裏腹な鋭く真剣な眼差しで千鶴の頭を撫でる永倉を見上げ、反駁しようと口を開く千鶴を押し止めるように総司が淡々と言葉を継いだ。
「『新撰組』って言うのは、可哀想な子たちのことだよ」
冷たい声と、酒を舐めながらも向けられた底冷えするくらい瞳に千鶴は言葉を無くして俯く。
そんな場を取りなすように永倉は笑みを浮かべて千鶴の頭にそっと手を置く。
「おまえは何も気にしなくていいんだって。だから、そんな顔するなよ」
「忘れろ。深く踏み込めば、おまえの生き死ににも関わりかねん」
斉藤の言葉に千鶴は唇を噛む。
新選組にとって千鶴や眞里は隊士ではなく、ただの客に過ぎない。客は客でも招かれざる客だ。
その客は新選組の秘密を知る必要はなく、深く踏み込むことは許されていないし望まれてもいない。
彼らと千鶴の間に聳える、高く厚く、そして冷たい壁を千鶴は改めて認識したのだった。
「そうそう。知りたがるよりも、眞里ちゃんみたいな気の使い方を覚えなよ」
重たくなった空気を、無かったかのように笑う沖田の言葉に思い出したように藤堂と永倉は首を傾げた。
「そういや、何しについてったんだ?」
「んなこと考えなくても分かんだろ」
「え、左之さん分かんの?」
穏やかに酒を飲みだした原田は、局長室のある方角を指で指した。
「源さんが近藤さんに話があるったろ。長い話になるのは目に見えてる」
「あ、お茶!!」
思い至ったのか千鶴が声を上げると肯定するように斉藤や沖田が頷く。
「淡々と食べているようで周りをよく見てるよね。最初から、いい量のお酒も準備してあったし」
「ああ、ありゃいい女だな。腕っ節も強い、料理もできるし気配り上手とくる」
楽しげに酒を舐める原田の言葉に、藤堂と永倉は笑いながら同意するが首を横に振る。
「だが、最大の難点があるな」
「そうそう」
「難点……ですか?」
首を傾げる千鶴の目前に指を突きつけると永倉は真面目を装った顔で言った。
「愛想のなさだ!」
「……愛想のなさ?」
「そう! 生真面目で、いつもキリッとしててさ。隊士の中には、あの真面目さがいい!とか言って眞里さんに陶酔してる奴らもいるけど……。いや、気持ちは分かるけど」
「平助君は、眞里ちゃんにもっと砕けて欲しいんでしょ?」
「……まあ、そうなんだけどさ」
「愛想のよさは千鶴ちゃんの方が格段に上だな!」
永倉に力任せに頭を撫でられるが、千鶴は笑顔で受ける。
一緒にいる眞里と自分では屯所内での扱いが違うことは仕方ない。眞里の方が千鶴よりも年齢も上で生きてきた境遇も違う。
気配りがうまい。原田や沖田の賛辞に悲しみを覚えたが、千鶴もこの一年、よく眞里を羨んだ。しかし、眞里はそうでなければ生きてこれなかったのだと言って千鶴を眩しいものを見るかのようにほほえんでいた。
「だが、千鶴への接し方は愛想のなさの欠片もない」
「それは当たり前です! 私はこの一年、すっごい頑張ったんですからね」
思わず胸を張ってしまう。
千鶴と眞里が出会って半年が過ぎるまで、眞里の千鶴への接し方は、今の新選組隊士達への接し方と似たようなものだった。
「眞里さんすっごく頑固だから、今みたいに笑いかけてくれたり、柔らかい口調で、千鶴って呼んで貰えるようになるまで半年以上かかったんですから」
「へぇ、そりゃすげえ頑固だな。ただ、それ以上に千鶴ちゃんが頑固だったってことだろ?」
原田の楽しげな言葉にも誇らしげに頷く。
眞里は親しい部下でも敬称を外さなかったということを千鶴は聞いている。幼友達の真田幸村とその配下の真田十勇士以外呼び捨てたことがないと聞き、千鶴は嬉しかったのだ。
「だから皆さんは、眞里さんの標準装備になれて下さいね」
適当な相づちを打つものや、悔しがる者を後目に見ながら、原田は島原から帰った時に見た眞里の微笑を思い浮かべた。
朝の約束の通り団子を買って帰ってきた原田は、縁側で眞里の淹れた茶を飲みながらのんびりとしていた。
そのとき不意に目をやった眞里が、嬉しさと懐かしさ、哀しみとやるせなさが内包した微笑を浮かべながら団子を手に取り、沈み行く陽を眺めているのをみた。
今朝見た淡い微笑とは違う、感情の孕んだ微笑に、どこかが疼いた。
「……なんだったんろうな」
辛い酒が、喉を通る際に甘く感じて原田は昼の疼きを忘れた。
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以外とすんなり書けました。
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