デフォルト名:立花眞里
土方がもたらした情報にそれぞれが渋面を浮かべる。
眞里も千鶴も口を挟まないが、あまりの内容に絶句してしまう。
「町に火を放つだあ? 長州の奴ら、頭のねじが緩んでるんじゃねえの?」
永倉が苦々しげに吐き出した言葉に、眞里は場違いにも南蛮宗教のザビーが操っていた絡繰りザビーを思い出した。メカザビーと呼ばれ、倒すのに苦労した。
あれは確かに頭にねじが使われていた。
「それ、単に天子様を誘拐するってことだろ? 尊王を掲げてるくせに、全然敬ってねーじゃん」
脱線してしまった眞里を知らない藤堂の言葉が眞里を現実に引き戻す。
隣の斉藤は小さく頷き。
「何にしろ、見過ごせるものではない」
「奴らの会合は今夜行われる可能性が高い。てめえらも出動準備を整えておけ」
「……了解しました、副長」
「よっしゃあ、腕が鳴るぜぇ」
皆それぞれな反応ではあるが、了承の意を示し順に腰を上げていく。土方は思い出したように千鶴を見た。
「綱道さんの件だが。長州の者と桝屋に来たことがあるらしい」
「え?」
わかったのはそれだけだ、と言い捨てる土方は眞里へと視線をやるが、眞里は首を横に振る。
そうか、と呟くと土方も広間を後にした。
後に残された眞里と千鶴は、出来事を整理するように二人とも言葉を噤んでいた。やがて整理を終えた眞里が立ち上がろうとした時、千鶴が不意に声を出す。
「長州と幕府は仲が悪い筈、なのにどうして父様が一緒に……?」
眞里は、新たに出た答えを言葉にはせずに「夕餉の準備に行こう」とだけ答え、千鶴の肩を押した。
眞里には夜襲の経験はあるが、討ち入りの経験はなかった。しかし、同じ様なものだろうと判断して手の空いている隊士を捕まえて握り飯の大量生産を行い始めた。戸惑っていた千鶴には、すぐに負傷者を手当できるような準備を頼んである。
それならば、と安心した千鶴は今頃屯所中の清潔な布を集めていることだろう。治療に関しては千鶴の方が一枚も二枚も上手なので何の心配もしていない。
戸惑う隊士に握り飯の作り方を教えると、自身は素手で摘める簡単な物を作る。
ついでに体調を崩している隊士用の粥も作る。
粗方作り終える頃には、慌ただしい音も遠くなっていた。
膳に乗せられるだけ乗せるように指示を出し、どこに運ぼうかと思案している時、庖厨に声が響いた。
「眞里君はいるかな」
「局長!? 立花殿、局長がいらっしゃいました!!」
「ん? ああ、握り飯を作ってくれていたのか」
近藤の所へ、幹部用に寄せた膳を手にして足を運ぶ。
眞里が持っているものに気づいた近藤は、討ち入り前とは思えないほど穏やかな顔を浮かべて膳を受け取る。
「助かったよ、眞里君。広間に運んで貰えるかな」
「分かりました。私に何かご用ですか?」
隊士へと目配せすると、一人は広間へと駆けて行き残る者で膳を運び始める。それを見送ると近藤は満面の笑みを浮かべて予想外の事を言った。
「雪村君に、伝令役を頼もうと思うんだが。トシに眞里君も一緒なら許す、と言われてな。元々君にも声をかけるつもりだったんだが。一緒に来てくれないだろうか」
長州は四国屋と池田屋という場所でよく会合を開いていて、今夜もそのどちらかだろうと予想されている。
池田屋が頻繁に使われていたことから、おそらく今夜は四国屋で行われると予想されるために本命を四国屋とし、万一の為に池田屋にも向かう隊を作る。
本命四国屋には土方率いる24名が。池田屋には近藤率いる10名が向かうという。
体調を崩している隊士が半数いるため、動けるのは僅か三十数名しかいない。山南と辛うじて動ける隊士は屯所の警護に周り、他はすべて出動する。
池田屋がどのような規模の建物かは知らないが、確かに10名という少数で、万一本命だった場合伝令に割ける人数はいない。
眞里が行く分には構わないが、問題は千鶴だった。いくら護身術は心得ているといっても、彼女は殺気を知らない。実践で、自衛はできないと見ていい。
しかし、新選組の役に立ちたいと思っている千鶴は行きたいと願うだろう。それによって自分が危険に晒されたとしても。
加えて、千鶴の参加には眞里の同行が条件になっているのは土方が千鶴の自衛について理解しているからであろう。
そして土方は、眞里が土方が二人に願っていることを理解していることを知っている。血生臭い出来事に関わらせたくない、という願いを。
眞里が断ることを願いつつ、眞里の判断に委ねるということなのだろう。
千鶴の願いを叶えるためには、眞里が同行して護ればいい。ただそれだけのこと。それが、土方の本心からかけ離れていると知っていても眞里が選ぶのは千鶴の心である。
「喜んでお供させていただきます」
「そうか! いやぁ、眞里君が来てくれれば百人力だな」
広間に刀と槍を持って現れた眞里を見て土方は苦い顔をした。ため息を吐くと、表情を切り替え。
「助かった、礼を言う」
何について言われたのか理解できず首を傾げると、土方は咳払いをして眞里から目をそらす。
横で眺めていた原田は困ったように笑いながら、握り飯を両手に持ち、一つを眞里の手に渡した。
「飯の準備のことだよ。幹部全員忘れててな、マジ助かったんだわ」
「ああ……。討ち入りは経験したことがなかったのですが、夜襲と同じ様なものかと思ったので。私は武器類は知らないので、食事だけお節介させていただきました」
「(や、夜襲……?)あ、いや。マジ助かったわ。ありがとな、お前も飯はまだだろ? 一緒に食おうぜ」
「良ければご一緒させていただきます」
握り飯を食べ始めた眞里を見下ろしながら、原田も食事を再開する。先ほどまで原田が居た場所では、いつものように永倉と藤堂が騒がしく食事をしており、時折千鶴の仲裁が入る。
ふと、眞里の槍が目に入り原田はじっと眞里を眺めた。視線に気づいた眞里が原田を見上げる。
「どうかされましたか?」
「いや……。槍、持って行くんだと思ってな」
「大人数を相手取るときは槍の方が楽ですし」
戦闘に加わる気で満ちている眞里の言葉に原田は苦笑を浮かべる。
「女は男の背中で守られてろ、って言いたいが今回は仕方ねえな」
「……私は武士ですから。守られる側ではなく、弱きを守る側ですよ」
眞里の中には男も女もない。ただ、武士となったからにはその力をもって弱者を守るべきである。それだけだ。
淡々と語る眞里に原田は眉を寄せるが、眞里の真剣な色を孕む眼差しに口を噤んだ。
場の空気を変える為、明るい口調で言おうとしたのとは違う言葉を選ぶ。
「ま、こっちが本命ならお前が槍を振らずに済むな」
「そうですね。……ですが、私はこちらが本命だと思いますよ」
「……そうだな。ま、どっちも本命に近いってことだな」
次々と片づけられていく膳を見て、眞里は会話を打ち切ると片づけに手伝うべくそちらへと駆けていった。
会津藩や所司代に連絡は行っている筈だったが、池田屋につき眞里と千鶴が周辺を走り回ってもその姿は見受けられなかった。
眞里の予感は的中し、長州勢は池田屋で会合を行っていた。
「……こっちが当たりか。まさか長州藩邸のすぐ裏で会合とはなあ」
「僕は最初からこっちだと思っ
てたけど。奴らは今までも、頻繁に池田屋を使ったし」
「だからって古高が捕まった晩に、わざわざ普段と同じ場所で集まるか? 普通は場所を変えるだろう? 常識的に考えて」
「じゃあ、奴らには常識が無かったんだね。実際こうして池田屋で会合してるわけだし?」
永倉と沖田は世間話のような軽い口調で話を続けていた。
永倉と沖田はあまり緊張していないやりとりに千鶴が呆気に取られていると、戻ってきた二人に気づいた藤堂が駆け寄った。
「どうだった? 会津藩とか所司代の役人、まだ来てなかった?」
「はい……」
「この辺りには、誰も居なかったようです」
藤堂は顔を歪めると舌打ちをした。
「日暮れ頃にはとっくに連絡してたってのに、まだ動いてないとか何やってんだよ……」
「落ち着けよ、平助」
焦りを露わにする藤堂とは対照的に永倉は焦りを感じさせない笑みを浮かべた。
「あんな奴ら役に立たねぇんだから、来ても来なくても一緒だろ?」
「……だけどさ、新八っつぁん。オレらだけで突入とか無謀だと思わねーの?」
落ち着きのない隊士、落ち着きはらった隊士。対照的な彼らを束ねる近藤の判断で身を隠しつつ援軍を待つことにした。
池田屋に到着したのが、戌の刻。それから更に、亥の刻へと過ぎた。
月の位置も傾ぎ、援軍の姿は見えない。
「……さすがに、これはちょっと遅すぎるな」
「近藤さん、どうします? これでみすみす逃しちゃったら無様ですよ?」
その場の隊士の視線を受けて、局長近藤は静かに伏せていた瞼をあげた。そのまま隊士を見渡し、眞里と目が合うと静かに頷いた。頷き返した眞里を見て不意に立ち上がり、千鶴の肩を叩いた。
「雪村君、眞里君。少し、池田屋から離れていてくれるか」
「え……?」
「ここは危険だ。浪士が下りてくるかもしれん。……もっとも、逃がすつもりは無いがな」
「千鶴、私の後ろに」
「眞里さん?」
静かに池田屋に向かう近藤の背中をぼうっと見ていると肩を引かれ、視界が眞里の背中で埋まる。
いつ構えたのか、槍を左手に鋭い顔をしていた。
再び視線を近藤に向けた時。
鈍い音をたてて、近藤は池田屋へと乗り込んでいた。
「会津中将お預かり浪士隊、新選組。――詮議のため、宿内を改める!!」
高らかな宣言に、静かだった池田屋に悲鳴が上がり、次いで走り回る音が続いた。
「わざわざ大声で討ち入りを知らせちゃうとか、すごく近藤さんらしいよね」
「いいんじゃねえの? ……正々堂々名乗りを上げる。それが、討ち入りの定石ってもんだ」
「自分をわざわざ不利な状況に追い込むのが、新八っつぁんの定石?」
楽しげな三人の声は屯所に居るときのようで。しかし、張り詰めた緊迫感が現実を思い出させる。再び近藤が大声をあげた。
「御用改めである! 手向かいすれば、容赦なく斬り捨てる!」
激戦の火蓋は切られたのだ。
***
ということでこの二人は近藤組で。
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