デフォルト名:立花眞里
※残忍表現あり
闇の帳が下ろされた京の町。静かな宵闇に怒号が響き、剣戟の音が高く鳴る。
絶え間ない怒号、階段を駆け下り上る音、誰かの断末魔。そこは現実から切り離された、芝居の一部のようで。
眞里にとっては懐かしい空間であり気分が高ぶるのを抑えなければ飛び込みそうであっても、千鶴は激しい剣戟の音などに竦み上がっていた。
震える肩を自分で抱きしめる千鶴を後ろ目で見ながらも、眞里は前方への注意を怠らない。千鶴の目の前で、彼女を守る為に人を切りたくない。――斬るところを見せたくない。しかし、それは眞里の我が儘である。
そんな時、池田屋から聞き慣れた人々の怒鳴り声が聞こえた。
「畜生、手が足りねぇ……! 誰か来いよ、おい! 誰かいねえのか!!」
永倉の声だった。辺りを見渡すが、人っ子一人見あたらない。正面から突入しなかった隊士達は裏口に回っている為永倉の声が聞こえないようだった。
耳を澄ませば裏からも物音が聞こえる。激しい打ち合いの様だった。
「眞里さん、どうしよう……!?」
取り乱す千鶴の肩をそっと抑え千鶴と向き合う。横目で池田屋の様子が窺える。
眞里が突入すれば彼らは少しは楽になる。けれど、眞里が離れれば千鶴を守る者がいなくなってしまう。
「……千鶴、私が言ったこと。覚えてる?」
「え?」
千鶴が眞里の言葉を思い返したのと同時に池田屋から近藤と永倉の怒号が聞こえる。
「大丈夫か、総司!?」
「くそっ! 死ぬなよ、平助!!」
その瞬間、眞里と千鶴は顔を見合わせて頷き合いそのまま池田屋へと飛び込んだ。
噎せ返るような血の臭い。消された灯りのせいで薄暗く、人の顔形は遠目でははっきりとは分からない。
剣戟の激しい音に気を取られるが、すぐさま眞里は刀を抜き放ち背後から迫っていた浪士を切り捨てた。千鶴は気づいて振り返ると既に浪士は倒れ伏し、眞里の太刀筋は全く見えなかった。
「眞里さ――」
「眞里、千鶴ちゃん!」
千鶴の声を遮った永倉の声に千鶴がそちらを振り向くと、眞里が再び誰かの刀をすり抜けて斬り倒す。倒れ伏す音で千鶴がようやく気づいて振り返る。
傍にやってきた永倉は眞里の動きを見ていたのか場違いなほど高揚した眼差しで笑う。
「実践は始めてみたが、流石だな。それにしてもこんなとこに呼んじまってすまねぇな。奥に平助がいる。行ってやってくれるか?」
千鶴と眞里。どちらに向けられた言葉かは把握できないが、どちらが行けばいいのか一瞬迷う。
千鶴が手を握りしめて俯くのを見て眞里が言葉を発しようとした瞬間、千鶴は様々な感情を混ぜた緊迫した顔を上げた。
「近藤さんが、沖田さんを呼ぶのも聞こえました」
「君たちが来たのか……!!」
気づけば近藤が傍で浪士と切り結んでいた。永倉が手を貸そうとする前に他の浪士が切りかかってくる為、彼はそれを迎える。
「他の隊士はなにをやってるんだ!」
近藤の焦りの滲んだ声に、眞里は外に居た隊士は裏口で応戦中であることを淡々と告げ、刀とは別に槍を構え直す。
隙を突こうと伺っていた浪士を何人かを柄で払い飛ばす。それを見ていた永倉が不謹慎であるが口笛を飛ばす。
「お、やるなぁ!」
「すまんが、総司を見てやってくれるか。二階にいるのは、総司と浪士がひとりだけだ。総司に限って負けはせんだろうが、手傷を負うかもしれん。敵も相当の手練れだ」
「私……」
藤堂も沖田も千鶴にとっては、助けに走りたい相手である。けれど、同時に二人の様子を見に行くのは不可能だ。
「……お昼に迷惑をかけてしまった沖田さんのお役に立てるなら……」
「なら私が藤堂殿の援護に向かおう。千鶴程ではないが私も応急手当てぐらいなら心得ている」
頷き合い、千鶴は眼差しに力を込めて急な階段を見上げた。
身の振り方を決めた二人を横目で見ながら近藤と永倉は不敵に微笑み、浪士を斬り倒す。
新たに切り結ぶ剣戟の音を響かせなから去っていく二人の背中に声を張り上げた。
「任せたぜ! こっから先は誰も通さねぇよ!」
「ああ!」
中庭へと駆けていくと、先から厚い威圧感を感じ高揚する気持ちを抑えるのに意識を使った。喧噪は遠く、一騎打ちの場であった。
「藤堂殿!」
そこには、額の鉢金を落とし額から夥しい血を流しながらがたいの良い浪士に刀を向けている藤堂の姿があった。相手には殺意は感じられなかったが、隙はまるでなくただ存在感が大きかった。
「眞里、か何で、きたんだよ!」
息が上がり途切れ途切れの声は藤堂に限界が近いことを示していた。
「お怪我は?」
「べ、別に大したこと、ないし……! こんなの、ツバでもつけときゃ治るっつの!!」
「……それだけ話せるならば大丈夫そうですね」
苦笑するも、藤堂の足下はふらつき、刀を握るのもやっとの状態であるのは月明かりでも見て取れた。対して、黙したまま油断のない瞳で眺める浪士。
見事な赤毛を背で括り、じっと眞里を眺めるその眼差しに眞里は藤堂の前へと一歩踏み出て槍の先を彼の喉元へと一瞬で突きつけた。
彼は臆することなく、穂先を見つめずに眞里を見つめ返す。眞里も構えもせずにただ槍を突きつけたまま動かない。
視線が絡まり、沈黙が長い間流れた。しかし、それはほんの数秒であり、先に口を開いたのは浪士であった。
「――私には戦う理由がない。君たちが退くと言うのなら、無闇に命を奪うつもりはありません」
「……オレらには、理由があるんだっての。長州の奴らを、見逃すわけには――」
言葉を返さない眞里の代わりに藤堂が言い返すが、体も揺れ言葉も揺れていた。藤堂を制するように刀を納めた右手を伸ばすと、眞里はゆっくりと言葉を選びように話した。
「殺意を感じない。慌ててもいない。……長州者ではないということか」
「ほう……。新選組の中にも貴女のように戦いの最中冷静な方もいるようですな。しかも…。強い」
浪士の目が楽しげに細められる。刃を交えずとも気迫で分かる実力。浪士は素手での戦法をとる者のようだったが、藤堂の額の傷は彼が負わせたものだろう。
「誉め言葉として受け取っておこう。こちらとしてもほかに手を回したいので、引いていただけぬか」
「おいっ!!」
「……いいでしょう。こちらもあなた方と争う理由もありませんからね」
威圧感を無くした相手に敬意を表してか、眞里も槍を下ろす。その動作をやはり楽しそうに見る浪士。その声は高揚していた。
「私は天霧九寿と申すもの。よければ――」
「私は立花眞里。訳あって新選組に身を置いている剣客のようなもの」
「……フ、立花ですね。では私はこれで失礼させていただきます」
背を翻す浪士を追いかけようと藤堂が一歩踏み出すが、彼は血溜まりに足を取られて転倒する。既に四肢に力が入らない身体でありながらもがく藤堂の手を取る。
「藤堂殿、今はこちらが不利でした。今の場はまた次回に持ち越しましょう」
「畜生、畜生っ…! 次に、会うときは、覚えとけよ…!」
藤堂は眞里の言葉が聞こえていないのか、譫言めいた口調で何度も悪態を吐きそのまま意識を失った。
力をなくした腕を床に下ろし、眞里は手早く応急処置を始める。幸いと言うべきか傷は骨で止まっていたため、最悪の事態は避けられそうだった。止血して、静かに立ち上がると手短な板の戸を外し隣に置く。
宿内の音は、静まっていた。
千鶴は階段を駆け上がり、室内に転がり込むと言葉を無くし立ち竦んでいた。
窓から差し込む月明かりに照らされていた光景は、目を疑う。
新選組でも一二を争う剣豪である沖田が、身なりのよい浪士に圧されていた。
猫柳の様な髪の合間から覗く赤い瞳はつまらなさそうで、彼と沖田の打ち合いも彼にとっては遊技にもならないようであった。浪士の剣は、沖田の技術には劣っているが、速さと重さに勝っていた。
「貴様の腕もこの程度か」
浪士は目を細め微かに笑う。
「さて、そろそろ帰らせて貰おう。要らぬ邪魔立てをするのであれば容赦せんぞ」
その声調は池田屋の惨状には全く興味がなく穏やかであり、沖田の敵意を事も無げに受け流していた。沖田は浪士の態度に激昂することもなく柔らかく微笑むと、前触れもなく床を蹴った。
「悪いけど、帰せないんだ。僕たちの敵には死んでもらわなくちゃ」
激しい切り合いが続行される。
千鶴は畳に転がった茶碗が目にはいると咄嗟に掴み、浪士に向かって投げつけた。何も考えずただ反射的に行ったことだったが、どこか確信めいた考えもあった。
「(隙が出来れば沖田さんが何とかしてくれる筈!!)」
浪士は飛来する茶碗に気づき刀で叩き割った。その隙を突くように沖田が一撃を仕掛けると浪士は体勢を崩し、不愉快そうな顔になった。
沖田も体勢を建て直し、千鶴のみ聞こえるような小さな声で囁く。
「いい子だね、千鶴ちゃん。後で、いっぱいほめてあげる」
「こしゃくな……!」
自尊心を傷つけられたのか浪士は切り結ぶ速さを上げた。それについていく沖田に上段から刀を振り下ろし、受け止めた沖田が体勢を崩した所で凄まじい脚力で沖田を蹴り飛ばした。
「沖田さん!」
呆気なく飛ばされ、床を転がり血を吐く余裕もなく咳き込む沖田に慌てて駆けより支えた千鶴は浪士を睨みつける。
「おまえも邪魔立てする気か?俺の相手をすると言うのなら受けて立つが」
愉快さが滲むぎらついた眼差しで千鶴を睥睨し、構えられた切っ先が千鶴に向かうと沖田が庇うように立ちはだかる。口元から胸元までを真っ赤に染め、おかしな呼吸音をさせながらも浪士に刀を突きつける沖田に千鶴は焦りしがみつく。
「駄目です、沖田さん! 骨が折れているかもしれないのに!」
「あんたのは相手は僕だよね? この子には手を出さないでくれるかな」
浪士は沖田と千鶴を観察していた様だったがせせら笑うと。
「愚かな。その負傷で何を言う。今の貴様なぞ、盾の役にも立つまい」
「――黙れよ、うるさいな!僕は、役立たずなんかじゃないっ……!」
怒りを露わに大声を上げる沖田に千鶴がしがみつく指に力を込める。
「大きな声を出しちゃ駄目です! 沖田さんは、血を吐いたばかりなのに…!」
興味もない眼差しで観察していた浪士だったが視線を明後日の方へとやると唐突に刀を納める。
目を瞬き、疑問の声を上げた千鶴の声は掠れていた。
「どうして……」
「会合が終わると共に、俺の務めも終わっている」
浪士はつまらなさそうに答えると、身軽な仕草で窓から飛び降りる。逃げると言うよりも、見逃すといわんばかりの動作に沖田は前へと足を踏み出すが、支えきれず転倒する。
「くそっ……! 僕は、僕はまだ戦えるのに……」
弱々しい叫び声に、千鶴は沖田の傍らに座り込むと彼の顔をじっと見下ろす。動かない体を必死に動かそうとする沖田は平生の彼からは想像もつかない。
「沖田さん…どうして、守ってくれたんですか……? 私がじゃまになれば殺すって、いつも言っているのに…」
千鶴の言葉に四肢の動きを止めると、不思議そうに目を瞬いた。そのまま眠たげな声でぼそぼそと呟く。
「……そういえば、なんでだろう? 僕にもよくわからないけど、でも、次は、ちゃんと殺さないと――」
そしてそのまま沖田は意識を失った。
泣きそうになりながらも千鶴は、池田屋の喧噪が遠のいていることに気づき立ち上がると階下へと駆け下りた。
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土方さんが入らなかった!!!
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