デフォルト名:立花眞里
四国屋に居た土方隊は、「本命は池田屋」の連絡を受けると直ぐに援軍へと向かった。
駆けつけた土方は、幹部へと手早く指示を出すと一人監察方の山崎を連れて大通りへと足を運んだ。土方を見送り、原田は裏口の援護、斉藤は宿内の援護に回るため奔走した。
土方は大通りに一人立ち、役人達の列を向かえていた。
悠然とした行列の移動に苛立ちが募るのを飲み込み、淡く笑うと立ち並んだ役人の列の前に一歩踏み出しだ。
ただそれだけの仕草ではあったが、土方の一歩で威圧感は膨らみ役人の列を留めた。
足を止めた彼らを見渡し、土方は朗々と語り出す。見得きりの様に辺りは彼の空気に飲まれていた。
「局長以下我ら新選組一同、池田屋にて御用改めの最中である!! 一切の手出しは無用。――池田屋には、立ち入らないで貰おうか」
土方の厳しい口調による宣言に役人はざわつく。
「し、しかし我々にも務めが――」
「小せえ旅館に何十人も入れるわけねえだろ? 池田屋を取り囲むくらいが関の山じゃねえか」
嘲笑すら含んでいる声に声を上げた役人に怒りが浮かぶ。しかし土方は反論の隙を与えずにたたみかける。
「それとも乱戦に巻き込まれて死にてえのか? 羽織着てねえ奴は間違って斬られるかもしれねえ。我が身が可愛いなら大人しくしとけ」
騒動に決着がつく前に役人に入られれば、新選組の手柄は彼ら役人のものとなる。決死の覚悟で斬り入った隊士を守るため、そのまま土方は、池田屋での捕り物が終わるまで一人で役人の行列を押し留めていた。
駆け下りた先に見知った背中を見つけ、彼女の名を叫ぶ。
「眞里さん!!」
「千鶴? 怪我は?」
「私は大丈夫です……。でも、沖田さんがっ」
取り乱す千鶴の肩を抱き寄せ、背中をそっと叩く。一定の間隔で叩かれるそれに合わせてゆっくりと呼吸をしているうちに、気が落ち着いていった。
眞里は、ゆっくりと問いかけを始めた。
「沖田殿の意識は?」
「気を失っています」
「そう……。容態は?」
「胸元を蹴り飛ばされて、恐らく内蔵に損傷が……」
「――分かった、まだ千鶴は動ける?」
千鶴は眞里の腕の中から身を離すと、眞里の目を見つめ返してゆっくりと頷いた。
立て続けに起こった恐ろしい出来事はまだ恐怖を心に植え付けたままである。しかし、戦いの終わった宿内ではまだ隊士達は働き続けている。
千鶴だけ休んではいられないし、今は体を動かしていたかった。
千鶴を見て優しく微笑んだ眞里は、いい子だ、と肩を軽く掴むと静かに千鶴に仕事を告げた。
「すぐ外で負傷者を集めて手当しているからそこに手伝いにいって欲しい。私は沖田殿を運び出してもらうように言ってくるから」
「はい!」
「誰か、手の空いている人は二階へ! 沖田殿も負傷されている!」
「立花さん、俺が行きます!」
飛び出していく千鶴を見送り、眞里が声を上げると隊士が二人駆けてきた。稽古でよく顔を見た隊士だった為、頷くと千鶴からの情報から彼らにとってもらうべき対応を告げる。
「なるべく動かさないようにして運びたい。板の戸に慎重に乗せて下ろして欲しい」
「分かりました」
彼らが駆け上っていく傍らを藤堂が運び出されていく。譫言でまだ何かを呟いているようだったが、異変はないようだった。
ホッと息を吐くと、誰かに肩を掴まれゆっくりと振り向く。
「よう、お疲れ!」
「永倉殿、お疲れさまです」
全身の至る所を返り血で染まった永倉だった。晴れやかなような曇った笑みに曖昧に返すと、そのまま彼の手を取り外へと引いていく。
驚きながらもそのままにされる永倉だったが、連れて行かれた先に土方を見つけて慌てる。
「な、何で土方さんのとこ連れてくんだよ! 俺、何もしてねぇぞ?!」
「土方殿ですか……?」
「おい、呼んだか」
何を言っているのか分からず首を傾げて永倉を振り返ると、何故か土方が姿を現す。目が合うと会釈して、また永倉を引いて歩き出す。
眞里の意図が分からず、ついていく永倉と土方だったが、眞里が足を止めて手を離し、待つように言われると大人しく足を止めた。
「何やってんだ、あいつ」
「さあ、分かんねえな。それよりさ、土方さん。あいつら今回お手柄だぜ?」
「……だろうな」
「え、もう聞いてんのか?」
いや、と首を振ると土方は眞里と、眞里についてやって来る千鶴を見て目を細める。日の出が近いのか、東雲空になっている。
「俺が指示出す前に宿内の隊士は動いてやがった。組長でもないあいつの指示に従うって事はそれ相応の働きを見たってこったろ」
「……そうかもな」
永倉も眞里と千鶴を眺めて笑うが、すぐに千鶴が鋭い声で永倉を呼び目をつり上げるのを見て肩を竦める。
走ってきた千鶴が永倉の腕を引っ張り、言い聞かせるように淡々と話す。
「手に酷い怪我をしてらっしゃるなら早く手当に来て下さい!!」
「あ、ああ……。わりいわりい」
「ほら、早くして下さい!!」
連行されていく永倉を見てため息を吐く土方の前に眞里が再び戻り、小さく頭を下げた。
「お疲れさまです、土方殿」
「ああ、お前もな。俺にも何か用か?」
幹部にだろうと容赦なく指示を飛ばしていた眞里を遠目で見ていた為(同じく見ていた近藤が笑みを浮かべて「流石女子は叱り慣れているな」と言っていた)、ついに自分も使われるのかと思ったのだが、流石に局長と副長は使わないのか首を傾げられた。
「いえ、屯所で湯の準備と食事の準備をしておきたいと思ったのですが……」
言われた内容に、ああ、と頷きながら流石だな。と心の中で賛辞を述べた。
「こっちの指示は殆どお前がやってくれたからな。その指示はもう送ってある」
「いえ、出過ぎた真似をして申し訳在りません」
頭を下げ再び動き回ろうとする眞里の肩を掴み、その場に留める。止められた眞里は不思議に思うのか、土方を見上げる。
視界の端で、空の端に陽の端が見え始めた。京の空気が一掃されていく。
「後はあいつらに任せておけ」
「ですが……」
「副長命令だ」
眞里は一瞬不服そうな顔をするが、すぐさま消し去り分かりました、と頷いた。
そのまま、隊士達が帰還の準備を整えるのを土方と並び眺めていた。
池田屋事件と呼ばれるこの出来事で、池田屋にいた尊王攘夷の過激派浪士二十数名のうち、新選組は七名を討ち取り、四名に手傷を負わせた。一方、新選組は一名が戦死、二名が重傷。他にも負傷者を何人か出した。
新選組の名を内外に広める一つの事件であり、隊士達の中でも暫くは語り継がれるものとなった。
こうして長い夜が明けた。
眞里と千鶴は土方に言われるままに庖厨で熱燗とお茶の準備をしていた。
何故昼間から熱燗なのか理解出来なかったが有無をいわさぬ迫力にとりあえず準備をするだけして広間へと向かう。お盆には熱燗と土方が置いていった薬包とお茶。
広間には幹部が勢ぞろいしており、眞里と千鶴が中へと入ると一斉に視線を向けられる。
千鶴と目配せして、眞里は近藤と土方の間に膝をつき盆からお茶を置く。そのまま薬包も置く。
「おお、すまんな」
「いえ。熱燗はどちらの方に?」
「俺と近藤さん以外にだ」
言われたままに熱燗を渡していくと熱燗が一つ余る。余った分をお盆に乗せたまま千鶴と一歩下がり腰を下ろす。そう言って湯飲みを持った土方は眞里のお盆の上と千鶴のお盆の上を一瞥した。柳眉を吊り上げ、眞里へと眼差しを向ける。
眼差しを受けた眞里は目を瞬く。何かしたのだろうけれど、心当たりが全くない。
「おい、お前も飲め」
「はい?」
意図が分からないまま手招きされるままに土方の隣に腰を下ろすと、熱燗と薬包を渡される。
意味が分からないがあたりを見渡すと、眞里に見本を見せるように薬包を手にした彼らは中身をさらさらと口に流し込み、そのまま熱燗で飲み込む。
眞里は思わず目を見開いたまま固まる。
「特別な処方をしたお薬なんですか?」
「土方さんの実家で作ってる薬。石田散薬って言うんだよ」
千鶴の問いに答えた沖田は楽しげに目を細めると、面倒そうに薬を流し込む。その事務的な動作に、飲むのが始めてではないことが窺えた。
「打ち身挫き切り傷に良く効く万能薬だ」
淡々と述べる斉藤の言葉に原田や藤堂、永倉は苦い笑みを浮かべる。小さな声でぼそりと、眉唾もんだがな、と呟いた声はしっかりと眞里や土方にも聞こえた。
彼は眉間に皺を刻むと深く息を吐いた。
「……とりあえず、手前ぇも飲んどけ」
「……頂きます」
熱燗で流し込むと、清酒独特の熱さが喉を通り抜けていく。
けろりとした顔で飲み終えた眞里を見て呆気にとられる幹部に、熱燗の猪口を回収する眞里は訝しみ千鶴を振り返る。
彼らの気持ちが理解できた千鶴は笑みを浮かべる。
「眞里さんはお酒強いんですか?」
「昔から何かにつけて宴ばかり開かれて朝まで飲まされたから。それに元々うちの一族は酒豪が多いから」
信玄が亡くなってからは滅法少なくなったが、同盟国に赴けば飲めや歌えの大騒ぎだったことを思いだし自然と笑みが浮かぶ。しかし、楽しげとは違い儚さを纏う笑みに事情を知っている一部の者は目を伏せる。
「なんだなら今度一緒に島原に行くか?」
「な、なに言ってんだ左之。島原に女は連れて行けねぇだろうが」
「でもよ、男装してんだから別に問題ないだろ」
「……それもそうか」
「っていうか土方さんが許可を出さなきゃ行けねぇって」
藤堂の指摘に原田と永倉が土方を見るが、彼は渋面を作ると低い声で唸った。
「馬鹿野郎。んな許可出すわけねぇだろうが」
「だよなぁ」
「酒盛りしたけりゃ屯所でやりやがれ」
土方の言葉の意味を正確に読みとった原田は笑みを浮かべ永倉の肩を叩いた。
騒ぎ始めそうな二人を見て、場をただすように近藤は咳をすると眞里を呼ぶ。
「池田屋で、平助の相手と言葉を交わしたと聞いたが」
頷くと眞里は名乗った浪士を思い出す。
「はい。長州者ではないと感じましたし、本人も違うと言っておりました。新選組と戦う理由がないと言ってもいました。名は天霧九寿。……得物を使わない様でしたが、勝てるかどうかは五分、でした」
「眞里ちゃんで五分なら平助は引いて正解だったね」
「うるせー!」
「……五分にしてもなぜ逃がした」
冷えた声に、眞里は新選組の厳しいと呼ばれる法度を思い出す。
士道に背くべからず。だったろうか。
背中の傷も切腹、敵前逃亡も切腹なのだろうか、と考えたところで眞里にはこの時代の士道はよく分からない。
侍はこの時代に既になく、武士という身分はあっても武将はいない。
暫く考えて眞里はじっと土方を見つめ返す。紫苑の瞳は責めの色はなく、ただの質問であることを見て取るとゆっくりと口を開く。
「敵の情報を持ち帰るのは、自陣の利益。刀を交える場所を選ぶのは双方への敬意。敵でも相手への敬意を。それが私の士道ですので」
「……はっ、なるほどな。で、手前ぇが得た情報はなんだ」
「身体能力も高いようです。沖田殿の相手も天霧殿も腕力脚力も人間離れのようです。戦闘に持ち込むなら一対一は危険です」
しかし。と眞里は昔を思い出す。徳川陣営の最終兵器、戦国最強と名高い本多忠勝に比べればまだ勝機はある。
刃を交えるならば、全力で闘ってみたい。そんな懐かしい高揚感を抱く。自然と口角が上がり、顔には不敵な笑みが浮かぶ。
眞里のその表情を見て土方は喉の奥で笑った。
しかし、一息つくとすぐさま真剣な表情を浮かべ幹部たちを見渡す。
「隊務は明日から再開する」
「はっ?! 土方さんそれ本気かよ」
「平助、総司、新八。お前らは外す。他隊士も重傷人は療養だ。動ける奴らで隊務を行う」
「俺は動けるぜ?」
ホッと息を吐いた藤堂とは違い、永倉は不満を隠そうとせずに顔をしかめる。沖田も似たような顔をしている。
土方が柳眉を吊り上げる。
「お前等は寝てやがれ」
「でもよ」
「副長命令だ」
翌日から、数人の副長助勤を欠いたまま巡察が再開された。
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文字数ぎりぎり!!
もうすぐ禁門の変!
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