デフォルト名:朔夜(さくや)
中つ国の傍系王族
※がっつりネタバレになる予定です。
~前回からの続き~
葦の生い茂る畦道で無邪気に遊んだ幼い頃。
なにも考えず、ただあの方の傍にいて共に学び、共に叱られ、共に遊んだ日々。
次第に公務が増え、易々とは抜け出せなくなった時に連れ出してくれたのは羽張彦と柊だった。
行った場所は、幼い頃に一ノ姫と二ノ姫と共に行った葦の草原。
黄金に輝く、葦原を見て、八百万の神に守られた豊葦原を愛しく思ったあの場所。
幼い子供を隠すほどの葦も、成長すると腰までの高さで。
『成長しないって怒られてばかりいた私たちも大きくなったわね』
そう言って笑いあった。
『ほら、朔夜。皆が呼んでるわ』
白い繊手に手を重ねようとして、突然足場が崩れ落ちた。
「――――っ!!」
驚愕に目を瞠り、意識が覚醒した。
鼓動が強く胸を打ち、息が荒い。混乱しそうな意識を取り戻すために目を閉じ、胸に手を当てて深く息を吸い込んだ。
どのくらいの時間が経ったのか。ほんの僅かかもしれないし、数刻も経ったのか。
ようやく呼吸が落ち着いた朔夜は、自分が見知らぬ部屋の寝台に寝かされていることに気づいた。
冷たい岩で作られた室内。
燃えるように赤い、毛織物の敷物。
どこか牢獄を思わせる造りは、中つ国とは似ても似つかぬ造りをしていた。
心細さに襟元を握るが、手触りに覚えがない。
慌てて己の格好を見ると部屋同様、中つ国にはない服の型。
萌葱色を貴重とした服は、記憶にある常世の国の人間が来ていた服に似ていた。
「……常世」
ようやく朔夜に意識を失う前の出来事が甦ってきた。
橿原宮の炎上、宮の人間を逃がし、二ノ姫を風早に頼み、ナーサティアに拘束され……。
改めて自分の格好を見直した。
見慣れぬ服は、とても肌触りがよい生地で、とても高価なものだろう。
中つ国では傍系とはいえ王家に名を連ね、一ノ姫の補佐として位を持っていた朔夜の服は上質な仕立てだった。
突然連れてこられた常世の国で、亡国の姫に着せるものではないだろう。
「……皇に謁見、かしら」
若しくは、見せしめに殺すか。だとしたら常世の服を着せる理由がわからない。
とりあえず、背中に流れる髪をせめて束ねたい。何かないかと部屋を見渡す。
「目が覚めたようだな」
突然聞こえた声に動きを止め、ゆっくりと振り向く。
意識を失う前に聞いた声とは違い、聞き覚えのない青年の声。
扉に見えないが、岩壁にもたれるように常世の青年が一人いた。
浅黒い肌の精悍な彫りの深い顔立ちはどこか自由に駆け回る獣を思い浮かばせる。
赤茶色の癖のある髪を後ろで編み込み、不敵な笑みを浮かべる立ち姿は、何の理由もなく朔夜を身構えさせた。
ゆっくりと目を合わせると、青年は薄く笑いもたれかかっていた扉から身を起こし、朔夜へと近づく。
「お前が、中つ国の姫か」
「……失礼ですがあなたは」
「これは失礼した。常世の第二皇子、アシュヴィンだ」
よろしく頼む。慇懃に笑う彼を思わずじっと眺める。
「…あなたが、火雷殿の弟御の黒雷」
「ああ、サティとは面識があるのだったな」
「サティ? ……ああ。可愛らしい愛称」
「だろう?」
思わず小さく笑うと、耳にかけていた髪が、顔に落ちてくる。
そのまま指を滑らせて髪を手で纏めると、先ほど見渡そうとした室内をぐるりと見渡す。
「元結を探しているのか?」
「ええ……でもないなら、仕方ないわ」
「……多分そこにあると思うが…。ちょっと待て」
ふい、と朔夜の横を通り過ぎアシュヴィンは壁際においてあった棚を漁り始めた。
少しといわずに警戒していた朔夜は呆気にとられてその後ろ姿を見る。
棚を漁りながらも「ここにあったと思ったが…」などと呟いているのは本当に常世の皇子なのだろうか。
そういえば今、何刻なのだろう。気になっても、窓はなく時刻を訪ねるにはアシュヴィンに聞くしかないだろうが、彼に今声をかけるのは悪いだろう。
「ああ、あった。ほら、使え」
「ありがとう」
渡されたのは、真紅の細い編み紐。これほど見事な色に染めるのは難しいだろうと思うほど美しい色をしていた。
手早く髪を纏めて元結で縛る。型もなにもない簡単な結い方をする朔夜をアシュヴィンは面白そうに眺めていた。
「アシュ、いつまでかかっている」
低い靴音ともにナーサティアの声が室内に響いた。
「ああ、元結を捜していたのさ」
「元結……まあいい。悪いが、来てもらおうか」
呆れたようにアシュヴィンを見たナーサティアは真面目なものになり朔夜を見た。
小さく顎を引くと、踵を返したナーサティアの後ろをついていった。
連れて行かれたのはやはり謁見の間だった。
玉座に腰掛ける皇(ラージャ)その横を固めるように朔夜と共に入ってきたナーサティアとアシュヴィンが座る。
見せもののようなものだった。
恐らくは常世の重臣たちなのだろう。謁見の間の壁際に朔夜を真ん中にして人々が座っていた。
顔を上げよとの声に素直に前を向く。
周囲から痛いほどの視線が刺さり、正面からの威圧に泣きたくなった。
けれどそれらを一切表に出さず、顔は前を向いたまま。
「中つ国の、春ノ姫か」
「はい」
皇から確認され、言葉を返すとそのまま審議が始まった。
朔夜には口を出す権利など始めから持たされておらずただ聞くのみ。
正直、こんなところまで連れてこられて処遇をどうするかと話し合われるとは思っていなかった。
叔母や、母。他の親戚のように問答無用で斬られ、そこで息絶えると思っていたのだ。
だが、それも明日までだろう。常世の国の王宮、根宮は薄暗い陰謀が渦巻いていると聞いたことがある。
特に昨今は暗殺騒動が絶えないとも。
よくて誰かの妾に収まったとしても誰かに刃を向けられる。
自分が生き残ったところで、滅びた中つ国の民たちにできることはない。ならば、潔く一ノ姫の元に向かうのもいいだろう。
審議の内容など耳に入っていなかった朔夜はそこで考えを纏めあげた。思考が終了した頭にナーサティアの抑揚のない静かな声が響く。
「いくら亡国の傍系の姫とはいえ、貴様とは釣り合いがとれん」
いったい何の話だろうか。彼の言葉と共に部屋の隅から嘲笑が漏れる。誰かが下賜でも願い出たのだろう。
あくまで、亡国の姫という扱いを崩さないのであれば朔夜の処遇は決まったも同然だ。
皇の妾、よくて側室だろう。
無意識のうちにずっと前を見据えていた瞳に疲れを感じそっと瞼を下ろす。
自害、という形と暗殺、どちらが民に絶望を与えずにすむだろうか。そんなことを考えたとき、審議の声が急に止んだ。
「では俺が妃(みめ)に迎えてもいいか」
かつんと、石畳に靴音が響く。
かつかつと間隔を狭め、足音は次第に朔夜の元に近づく。
視界に入ったのは黒い外套と靴。
再び目を開くと、目の前にアシュヴィンが立っていた。
何故、彼が。
今、何と言った?
「本来ならば、功労者の父上かムドガラかサティに権利があるはずだが、二人とも申し出ない。ならば、私が申し出ても許されますか、父上?」
「……好きにしなさい」
あちこちから皇の名前を叫ぶ声が聞こえる。
「それではお言葉に甘えて。ほら」
最後は小声で朔夜に告げると同時に、黒い手袋に包まれた手を挿し伸ばされる。
突然の展開についていけず、呆然と彼を見上げるが、反射的に右手が彼の差し出された手の上に乗る。
すかさず引き立たされ、そのまま手を引かれていく。
「…よろしいのですか」
「好きにさせればよい。これでこの件は終わりだ」
背中の方で聞こえる会話にまた驚きながら朔夜はアシュヴィンに手を引かれて退室した。
なすがままに連れてこられた朔夜は、どこかの部屋に入ったときようやくアシュヴィンの手を振り解いた。
「まるで手負いの雌鹿だな」
「どうして私を妃(みめ)にすると仰いましたか」
「……まあ座らないか」
手をひらひらと振り、楽しげに笑いながらアシュヴィンは机を挟んだ椅子に腰掛け向かいの椅子を指さした。
「なぜ」
「何故お前を娶ると言ったか、か? それよりお前、さっきはもっと砕けた話し方だっただろうそっちの方がいい」
「っだから」
思わず怒気があがりそうになった朔夜の言葉を遮りアシュヴィンは言葉を続けた。
「その方が利害関係が一致すると思わないか?」
「利害関係?……どちらにしろ私は生まれ育ち、慈しむ豊葦原の地を踏むことは二度とできないわ」
胸中の不安を思わず言葉にすると、葦原が脳裏をよぎり目尻が熱くなる。
こんなところで泣きたくなどないのにと唇を強く噛むが、視界は涙でぼやけた。けれどそのまま俯くのは何故か癪に障りアシュヴィンを睨む。
睨まれた彼は面食らっていたようだが、すぐに苦笑を浮かべると腕を伸ばし、その指で涙を拭った。
突然の予想外の優しさに朔夜は思わず戸惑いを覚えた。
「察しがいいのか悪いのか。俺が向こうに出向くときは連れていってやるさ。正室ならば誰も文句は言わないからな」
「(だったら側室でもいいような)……え?」
「何か不満でも?」
彼の行動以上に予想外の言葉に思わず言葉が詰まる。
「……正室…?」
「ああ、そっちか。妻など一人で十分だろう?」
「私は中つ国の、傍系よ?」
第二皇子とは言え中つ国から娶るとしたら直系でなくば吊り合わないだろう。
「俺は構わんさ」
「あなたが構わなくても周りは構うわ」
「構わん。言いたい奴には言わせておけばいい。…興味があったからな、お前に」
先ほどの「何故」に対する答えだろうか。
「きょうみ?」
それな対し、自分はは見せ物でも物でもないと睨みつけるがアシュヴィンは楽しげに口元を緩めると、頬杖を突いた。
「年は16と聞いた。残る王家筋は全員自害もしくは殺されている。なのに、先頭に立ち民を逃がし、捕らえられても、敵国の目に晒されてもなお気丈に前を見る娘に、な」
震える体でなお敵に屈しようとしない気高さに目を惹かれた。
「それに存外お前とならば退屈せんですみそうでもある」
それに、とさらに続けた。
「黄泉へ下るのは簡単だ。けれどな、亡国の王族に名を連ねるものとして天命を全うしてお前の故国を滅ぼした常世に抗ってみせろ」
朔夜、と優しく名前を呼ばれ、何故かまた頬を涙が伝う。
朔夜、と彼女の名を呼ぶ者は少ない。
公には春ノ姫と呼ばれていて、朔夜の名を呼べる者は少なかった。
それは朔夜の名を付けたのは、一ノ姫だった為、そして朔夜が呼ぶことを許した者のみがその名前を紡げたからで。
彼女が付けてくれた名前を、彼女がいたという証を紡いでくれる人はもういないのだと無意識のうちに諦めていた朔夜の心に暖かさをもたらしてくれたのだ。
「あー、もう何故泣く?」
「……桜」
「さくら?桜がなんだ?」
「豊葦原で桜が見たいわ。歩きながら桜を見上げるの。夏には森を縫って歩いて夜には蛍の光を見て、秋は紅葉と月。冬は雪の積もった道を歩いたの」
姫と抜け出して、臣下に怒られて。そんなことを告げると、困りきった顔をしていたアシュヴィンは、「わがままな奴だ」そういいながら笑った。
「ひととせにすべては無理でも順を追って叶えてやる。まずは、妻問いの宝に髪飾りでも贈ってやろう」
「歌垣の時期じゃないわ」
「構わんさ」
亡き中つ国ノ姫が、常世の国の第二皇子に娶られたと、常世と豊葦原に知れ渡ったのは七日後のことだった。
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前半はサティが出張る予定だったのに気づけばアシュヴィンが勝手に出張ってました。なぜ。
もっと人物を生き生きと書きたいです。描写が単調だ。
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