夜は眠るのが怖いときがある。
あの暗闇の中に永遠に閉じこめられてしまったら。おそらく自分は、怖くて、寂しくて……悲しくて、哀しくて死んでしまう。
だから彼が、自分と同じと私の彼が怖くて眠れないと言っても別に不思議にも思わなかっし、哀れみの気持ちも起きなかった。
眠れないのだと言ったときの体制のまま彼はじっと答えを待っていた。心優しく、臆病な彼は帰れと言えばすごすごと自分の部屋へと戻るのだろう。自分の部屋と行っても、自分の部屋からすぐそばの位置にあるのだけれど。
主上付きの女官の部屋故、彼の部屋の近くにある。だからといって信用していなければ彼はやってこないだろう。
不安を隠さずに頼ってきてくれたことがとてもうれしかった。
「廊下は冷えます。劉輝様のお室に移りましょうか」
「……いいのか?」
ぱあっと顔を輝かせる彼は、贔屓目なしに可愛らしかった。
年不相応ながら、だが違和感のないかわいらしさ。自分は彼が好きだった。
損得勘定なしに慕ってくれる、彼の純粋さに救われていた。
「有紀の知っている曲は余の知らないものばかりだから聞くのは楽しい」
いそいそと自らお茶の準備までして、彼は取り出した二胡を差し出した。
普通ならば、それらをするのは女官の自分の仕事なのに、自分はそれらを甘んじて受ける。
だが、彼が準備をしている間に自分は彼が聞きながら寝れるように寝台を整え、自分が座る位置を確保する。
「何が聞きたいですか?」
「何でもいい。有紀が余の為に弾いてくれるものなら」
「……秀麗ちゃんには及びませんが、主上の為に奏でます」
月の隠れる夜は怖い。
星が見えないし、唯一の明かりもない。
でも、毛布を被って一人で居るよりも、怖がるもの同士寄り添え合えば怖くないかもしれない。
**
おそらく彩雲国の話は音楽ネタが多くなります。確実に。
[1回]
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それ以外のなにものも含まない眼差しに有紀は言葉に窮した。その双眸は宝石のように輝き、光りの矢のように撃ち抜く。
話のついでのようなものだった。いつものようにお互いに意見を交換しあう一時の合間。
「有紀はなにがしたいんだ?」
話のついでのような問い掛け。ささやかな好奇心よりもその場の流れにより自然と出た言葉だった。
だが、口に出した途端に絳攸はしまった、と思い顔を曇らせた。
目の前で茶を飲んでいた有紀が絶句していたのだ。自分と一つしか違わないこの少女は、年の割に聡明である。
“オレは官吏になって、あの人のおそばに”
会うたびに猛勉強していた彼に理由を尋ねた有紀に絳攸の夢を話すと彼女は柔らかく微笑んだのだ。
“じゃあ、わたしもいっしょにやる”
付き合わなくてもいいと言ったものの、女官になるにはこれぐらいの勉強が必要だから気にしなくてもいいと言われ 気がつくと会うたびに自分の進み具合いを互いに報告している。
有紀は数少ない選択肢から“女官”という選択肢があることに気付いている。《なるもの》の一つは女官。
だが、絳攸は“なりたい”ものは官吏だが、“したいこと”は《黎深の役に立つこと》
したいことが限られている有紀は今はただひたすらに知識を吸収するしかなかった。
「あー……有紀?」
「……うん」
「気にしないでくれ」
絳攸の言葉に、目を反らしていた現実に気付かされた有紀は今更その言葉は聞けなかった。
「ううん。考えなきゃいけないもんね……“したいこと”」
まだ10歳にもなっていない子供の戯言。そう思うには彼の言葉は少しだけ重かった。
この国で《瑠川有紀》ではなくて、《黄有紀》として生きていくには、まず恥をかかない程度には教養が必要である。自分の『家族』となってくれた鳳珠に恥をかかせない為に、そして自分の為に。
勉学以外にしたいこと。それは音楽を抜きにすると、具体的には見つからなかった。官吏になって鳳珠の手足とまでいかずとも指先ぐらいになれたら、と思わないことはない。けれど、それを実現するには男にならないといけない。
考え込んでしまった有紀は悩みを浮かべた顔のまま帰宅し、鳳珠や家令を筆頭とする家人達に大いに心配された。
悩みに悩み抜き、鳳珠に相談すると彼は優しく微笑み、そっと指で有紀の髪を梳いた。
鳳珠には劣るが艶やかな黒い髪がさらさらと流れ落ち、優しく有紀の頬を撫でる。
「私に気にすることなく有紀のしたいことをすればいい」
「私の、したいこと……」
何がしたいのか、思いつかない有紀は流れる髪の感触に瞼を下ろした。
ゆったりとした空気が室内に流れていた。気を利かせた 家人が焚いた香は気を落ち着かせる優しげな薫りで、もやもやとしていた有紀の心の中を静かに晴らせていく。
「今、お前がやりたいことはなんだ?」
ゆったりと優しく、けれど答えをそっと引き出すような鳳珠の声に有紀はいくつかのものを脳裏に描いた。
「……楽器をもっと上手に鳴らしたいです」
「それならば時間をかけて、ゆっくりやればいい」
眸を開いて顔を上げると 、鳳珠の視線とかち合った。優しげな穏やかな微笑みを浮かべている彼はこれ以上ないくらい麗しく暖かかった。
とりあえずは落ち着いたが、《答え》がでていないことに、有紀は見て見ぬ振りができなかった。
だからとりあえず日々考え続けた。
皆に心配されようと考え続けた。
考え続ける姿に鳳珠が悩み、悠舜が心配し、黎深が馬鹿にしていようと。
黎深の何気ない言葉に絳攸が怯えていようとも。
そんな日々が続いて何日か経った、鳳珠の公休日。やってきた黎深は無言で有紀に何かを包みごと押しつけた。
いつものように家人を押し退けて自分の屋敷のように振る舞う黎深は、有紀に包みを押しつけるといつものように客室へとさっさと歩いていった。
勿論透視能力なんか持っていない有紀は何なのかわからずに包みを持ち上げてみるが、包みの中で何かがゴロリと転がったのを感じ取り、あわてて包みを両手でしっかりと持った。
あわてて追いかけて彼の顔を見上げるが、角度的に黎深の表情は扇に隠れて見えなかった。
「れ、黎深さま?」
無言で室内に入る彼に問いかけたところで返事は期待していなかったが、やはりないものは寂しい。
椅子に腰掛ける黎深を追いかけたが、彼はいつもしていたように卓子をぺしぺしと扇で叩いた。
それは黎深の「お茶」という無言の催促であることを知っている(というよりも教えられた)有紀は、包みを丁寧に置くとお茶を淹れはじめた。
湯呑みの中で茶葉が美しく開く様を見ていると、ペシリという痛そうな痛くなさそうな音がした。
いったいなにを叩いたのだろうかと思い、有紀が振り向くと想像だにしなかった光景が繰り広げられていて有紀は空いた口が塞がらなかった。
「お茶を淹れていただくのに言葉もなしとは失礼にも程があるでしょう」
「だが、こいつは怒っていないぞ」
「そういう問題ではありません」
後からゆっくりと来た悠舜が黎深の扇を奪い、彼の頭をポコポコと叩いていた。
黎深に渡された包みが気になり、悠舜に気づいていなかったことに思い当たった有紀はあわてた。
ついでに自分のことで黎深を怒っている悠舜を止めなければいけない。
「悠舜さま、私は気にしていませんから黎深さまを怒らないでください」
椅子から立ち上がりかけていた彼をいさめるためにのばした手を取った人物がいた。それは悠舜ではなくて、傍観に徹している鳳珠であった。
「鳳珠さま?」
「止めなくていい」
「…でも」
なおも言い募ろうとした有紀は黎深の顔を見て口を噤んだ。
黎深の顔が、『この上なくうれしい』と語っていた。
邵可の屋敷で見る黎深の表情と酷似している。
しばらく二人で悠舜と黎深のやりとりを見ていたが、何気なく手に取ったお茶が冷めていることに気づいた。
「……お茶を淹れなおしてきます」
「茶請けを持ってくるように言っておいてくれるか?」
「はい」
ついでに黎深から貰った包みの検分をしてしまえ。と思い当たると有紀は喧嘩の仲裁をやめ包みを手に室外へとでた。
廊下に控えていた家人に包みを預け、お茶の淹れ直しを頼む。
すぐに廊下は冷えるから室内へと後戻りさせられた。そのとき包みの中身を一つ持たせて、背を押す家人の言葉が有紀の心を惹いた。
「鳳珠さま」
手ぶらですぐに戻ってきた有紀に目をやった鳳珠は、説教を始めている悠舜とうれしそうに怒られている黎深から離れた位置に移動した。
鳳珠の元に移動した有紀は手に持つ橙色の丸いものをきゅっと握りしめた。
ふわりと柑橘の香りが漂う。
鳳珠はきゅっと眉を寄せる有紀を見下ろした。どこか見覚えのある表情に彼も麗しい顔を心配そうに歪める。
小さな体で何かを精一杯受け止め、一生懸命前に進もうとしている。
鳳珠は身を屈めるとゆっくり有紀の前髪を浚った。
細い指先から黒髪がサラサラとこぼれ落ちる様を見るのがここ最近の彼の癒しでもあった。
「どうした」
「黎深さまと邵可さまの生まれ育った紅州の名産は、みかんなんですか?」
「……みかんになりそうだな」
意味深な彼の言葉に有紀は首を捻った。
「それがどうした?」
「八州にはその土地独自のものがたくさんあるんですよね」
鳳珠は小さく頷いた。
有紀は言葉を紡ごうと口を開くが一瞬躊躇った。これを口にすれば、彼らに呆れられるに決まっている。
路頭に迷うのを確実だった自分を拾ってくれた優しい彼に対する裏切りのようにも感じた。
言葉にするのを躊躇する有紀を見て説教をしていた悠舜もされていた黎深も先ほどまでのやりとりをやめていた。
鳳珠は髪をいじっていた指を有紀の頬に静かに添えた。
そうしていつの間にかうつむいていた有紀の顔をゆっくりと上げ、鳳珠の視線と合わせた。
「何でもいい。思ったことを言いなさい。私は、お前を見捨てようなどと思わん」
「鳳珠さま…」
「私たちは『家族』だろう?」
いつも以上に優しい微笑をたたえる鳳珠に有紀は迷いながらも言葉を続けた。
自分が"したい"と思ったことに鳳珠がその麗しい顔を歪めることのないようにと。
「実は……」
美しい景色が見える室で、有紀は絳攸と恒例の勉強会のようなものをしていた。
暖かな日差しに眠りの世界に行く誘いを賢明に断っていた有紀は、先日の話を絳攸に打ち明けてみた。
「全国津々浦々天心修行をしたい、だって?!」
絳攸の反応が一番普通であった。
その驚き方に有紀はその日のまどろみ行きの片道切符を落としてしまった。
彼が本気かと問わんばかりに有紀を見るので有紀は小さく頷いた。
「本気だよ」
「……お前の養い親はなんて言った?」
「『本気で考えているならば、身を守る術を得てからにしなさい。私を倒せるときが来たら許そう』」
「…本気か?」
有紀はそのとき知ったが鳳珠はなんと気功の達人だったらしい。
前の自分は運動神経に優れているとはいえなかったで、武術が覚えられてお得な気持ちになったのだった。
「黎深さまはね、『おいしい天心を邵可さまたちにも食べさせて差し上げたいです』って言ったら」
「……『今すぐにでも行ってこい』…か?」
一字一句違わずに言った絳攸に有紀は思わず拍手を送った。
だが、絳攸は心配そうな面もちでじっと有紀をみた。
思えばこの小さな友人は自分の何気ない一言でこんな無謀なことを考えてしまった。しかも、普通は周りは止めなければ行けないのに誰一人として止めていないようだった。
さすが黎深さまのご友人たちだと心の片隅では心配しつつも、どこかおかしくないだろうかとつっこみをいれていた。
やはり、ここは自分が止めるべきだろうと深く深呼吸をして有紀を改めて見ると、彼女はこの上なく穏やかな微笑を浮かべていた。
思わず絳攸は口を噤む。
「でもね、本当はね。彩雲国中を見てみたいの。軒の中からではなくて、自分の足で。この美しい国を自分の目に焼き付けたいの」
「……」
その言葉にどう返せばよいのか絳攸はわからなかった。
確実に予想できたのは、二人で武術の修行に励むときが来るかもしれないということだけだった。
**
字数足らず!結構メールの字数ぎりぎりまで書きました。
[2回]
それは楸瑛にとっては全く耳に馴染まないものだった。
だが、穏やかな旋律はそっと心に沁み入り、静かに目を閉じる気分にさせる。真っ白な空間に閉じこめられ、けれど波風を立てることのない静かな空間。
聞き入っていた楸瑛は静かに拍子を叩いた。
「とても美しい曲ですね」
「ありがとうございます」
「まるで貴女の心のようだ。繊細で、けれど芯があり凛としている」
それは若干お世辞が入ってはいたが、ほぼ楸瑛が思った通りの賛辞だった。
「題名をお聞きしても?」
「『主よ、人の望みの喜びを』だったと思います。のだったか、よだったか覚えがないんですけどね」
「『主よ』ですか…?」
首を傾げる楸瑛に有紀は苦笑した。神という概念があまりなさそうな彩雲国では、『主』といって思いつくのは『主上』ぐらいではないか。
「主上ではないですよ」
「では、あなたの言う主とは…?」
「…人々が祈りを捧げて、救いを求める存在。…のことかもしれません」
彩雲国では神に変わる存在はなんなのだろうか。
「とても美しい音のかけ合いで私はとても好きです」
「かけ合い……」
「演奏者が一人よりも二人の方が私は好きです」
それを聞いて楸瑛が若干青ざめたのを見て彼が何を想像したのかすぐにわかった。
「龍蓮は聞いてくれるだけですよ?」
「そうではないかとは思ったけどね、まあ…」
今の有紀に特に願いはない。ただ、心優しい彼らが穏やかにあれとただそれだけである。
だが……。
「楸瑛様は、願うとしたら」
何を願いますか。
その問いかけに彼は曖昧に笑っただけであった。
**
特に意味はない散文です。それはいつものことですが…
楸瑛のキャラがいまいちつかめない…
[1回]
柔らかい薄紅色の花びらがひらひらと風に舞う。静かな風は、あまやかな薫りを運び、ゆったりとした気持ちにさせる。
白や薄紅の花たちに混ざり、我こそはと主張するように咲き誇る、薄桃色の五つの花びら。
立花の舞う季節は過ぎ去り、荒々しい風が季節が移ろったことを皆に伝える。冬は遠くへと走り去り、芽吹きの季節がやってきた。
遠くで鶯が鳴いている。
見事な庭院で強制的に持たされた二胡を手に有紀はぼんやりと、高級料亭を思い浮かべた。
この時期、耳にするのは小さな頃歌っていた曲。
独特な音程が少しだけ気に入っていた。
手探りで音を思い浮かべながら、弓を弾く。興味深そうな視線が集中しているのに気づきながらも、思い浮かぶ音を逃さないように慎重に。けれどこれ以上ないほどに急いて。
きっちりと最後まで弾ききると、二人分の拍手の音が聞こえた。
「見事な曲じゃの」
「ねー」
手放しの賛辞に有紀は、視線をさまよわせた。
公休日ではないためにいつもの三人はいない。この屋敷の主も出仕中で留守である。
最近有紀はふらりと貴陽の街を出歩いている。理由はあまり明らかにされていないが、理由を知る鳳珠は勿論彼女が出歩いていることを知っているし、心配性の家人はひっそりと後を付けている。おそらく黎深も影(彼らには迷惑なことだが)達を放っているからまず万が一は起こらないだろうと邵可は思っている。だが、弟とその友人達の心配様から邵可は無口な家人にとあるお願い事をしていた。
その『お願い』の内容を聞いた家人は困惑し、邵可の奥方は面白がり煽った。
そのせいか、有紀は最近では必ずといってもいいほど予期せぬ場所で静蘭に出会い、そのまま邵可邸につれていかれて秀麗と遊んでいる。
静蘭が困惑しつつも有紀を探しに行くのは、有紀の知っている一人遊び――あやとり、折り紙などや、二胡や横笛を使って演奏する曲を秀麗と薔君がいたく気に入ったためでもある。
今日は調子がいいらしく起きあがっていた秀麗は、笑顔で二胡の弓をもって有紀の演奏を見ていた。
「有紀ねえさま、きょうのは?」
「今日のはあのお花の曲なの」
「『櫻』か」
「また一段と、独特な曲ですね」
同じ年とは思えない程落ち着いている静蘭の感想に有紀は乾いた笑みをこぼした。
「私は詳しくないんですけど、確か、独特の音階のようなものがあるんです」
「そうですか」
決して会話が得意というわけではない有紀とあまり自分からは話さない静蘭とはいつもここで会話が途切れる。
気まずい空気が流れるが、薔君は完璧に傍観者に徹し、秀麗はまだ小さいからよくわかっていない。
「有紀と静蘭はよう似とるの。のう、秀麗」
「にてるねー」
反論するにも言葉が思い浮かばない有紀は静蘭をちらりと見るが、彼はあまり関心がないのか動じていない。だが、少しだけ肩が揺れたのを見ると動揺していたのかもしれなかったが、どっちにしろ反論しないのだから有紀にとっては同じことであった。
くいくいと服の裾を引かれ、下を見ると満面の笑みで秀麗が有紀を見上げていた。
「秀麗も次は弾きたいようだの?」
「有紀ねえさま、おしえてください」
有紀は座り込み微笑み返すと、そっと秀麗の頭をなでた。
弓をそっと弾き、互いに調弦する。
紅邵可邸の、新たな春の催しは三人による二胡の演奏だった。
[1回]
空を駆け上がるその姿はひどく懐かしいもので、目の奥が熱くなった。
宋太傳から竹と小刀を貰った。
始めは箸でも作ろうかと思ったが、不意に思いつき有紀は女官仕事の合間にサクサクと制作していた。
ようやくできあがったソレを手に、府庫での劉輝との憩いの時を迎えた。
「劉輝様、今日は宋太傳に……あ、ちょっと逃げないで下さいよ」
「そ、宋太傳がどうしたのだ?!」
「話は最期まで聞いてください。宋太傳に竹と小刀をいただいたので、私の故郷にある遊び道具を作ってきました」
どうぞと渡すと彼はしげしげと観察しながら受け取った。
細い手触り、不思議な形の二枚刃。
「これは何と言うのだ?」
「竹コ……タケトンボです」
「竹こたけとんぼ? 余は聞いたことがないな」
「たけとんぼです。空に飛ばして遊ぶんです」
危うく日本人(世界中でも)にはおなじみの便利アイテムの名前をいいそうになった有紀は焦った。慌てて劉輝を外へと連れ出す。
「それが本当に空を飛ぶのか?」
「はい。劉輝様、二つ作ったので片方をお持ち下さい」
「う、うむ。してどうするのだ?」
たけとんぼを持たせると有紀は見本を見せるように、細長い部分を両の手のひらで挟み込む。
「こうやって…手のひらを擦り合わせると……えいっ」
素早く手のひらを擦り合わせ、勢いで離す。
回転が加わり、二枚刃が素早く回り円に見える。
有紀の手から離れ、たけとんぼは空高く舞い上がった。
高い空に向かって、高く高く。
「おおっ! 本当に飛んでいるな!」
はしゃぐ劉輝に笑っているとたけとんぼは呆気なく落下してきた。
受け取ることはできなかったが、落下したたけとんぼを拾い上げると既に劉輝は一人見よう見真似で飛ばそうとしていた。
けれど、有紀の時とは反対方向に回転をかけようとしているのを見て、彼女はそっと手で止めた。
「む? どうかしたか?」
「劉輝様。そのやり方ですと飛びませんよ?」
「そうなのか?」
やってみて下さいと言うと劉輝は力強く頷き、えいっと回転をかけ、飛ばそうとした。
だが、劉輝の予想と反し、たけとんぼは勢いよく地面に向かっていった。
「何故だ?」
「風が上に吹くのだと思います。今度は逆に手を擦ってみて下さい」
「うむ。では有紀も一緒にやろう。どちらが高く飛ばせるが競争するのだ」
「負けませんよ?」
「ふふふ、余も負けない気がするぞ!」
掛け声と共にたけとんぼを空に飛ばす。
「余の勝ちだな!」
劉輝が飛ばしたものが高く飛んだ。喜ぶ劉輝に有紀も楽しく笑っていると不意に風が吹いた。
反射的に目をつむるとデジャヴュを感じた。砂埃が顔に当たる。
有紀を庇うように劉輝が立つ。
「っいた!」
「何だ?」
風の中に痛そうな声が二人分聞こえた。何かが当たったのだろうか。
風がやみ、二人揃って空を見るが、たけとんぼはどこにも見えなかった。
近くの地面を見渡しても見当たらない。
残念そうな劉輝に有紀は材料があればまた作れると慰める。
「たけとんぼは面白いな!」
「劉輝様のお時間があるときにでもまた」
「……では、このわけのわからん二つのものはお前達のものか?」
不機嫌まっただなかの声に振り返るとにっこりと笑みを浮かべた楸瑛と無理矢理浮かべた笑みが引きつっている絳攸がいた。
それぞれの手には見覚えのあるものが握られている。
「余と有紀のたけとんぼ!」
「おやおや、この危ないものはお二人のものですか」
「有紀が余のために作ってくれたのだ。早く返せ」
有紀はたけとんぼを見て、先程風に乗って聞こえてきた言葉を思い出した。
ろくに考えもせずに絳攸の額へと指を伸ばす。
「頭に当たったの? 細胞が何万と」
「俺は肩だ。頭に当たったのは楸瑛だ」
心配するなとの絳攸の言葉と共に有紀の手は自然な動作で横から伸びてきた楸瑛の手に取られる。指先に温かなものが触れる。
「え、えと……藍将軍?」
「おや、私のことは楸瑛と呼んで下さるのでは?」
「こっの! 常春頭!」
絳攸が投げ飛ばしたたけとんぼをうまく避けると楸瑛はからかうような笑みを浮かべた。
「有紀殿は私の心配はして下さらないのですか?」
「たんこぶは?」
「ありませんよ?」
じゃあいいです。と呆気なく手を取り返すと二人の手からたけとんぼを取り返した。
「有紀。それはまだ飛ぶか?」
「もう無理です。劉輝様、今度は一緒に作りましょうね」
「うむ」
「……私たちって邪魔ものかな?」
「主上がそんな器用なことお出来になれるんで?」
「聞いちゃいないよ……」
**
後半はいつも通りぐだぐだです。
[2回]